2006年05月27日

権利者団体から見た教育現場

 学校教育現場からみた権利者団体について、誤認に基づいた見解が多数であるということを前回述べました。
 また、権利者団体からも「侵害の温床」という誤解に基づいた偏見を持っているということも指摘しました。
 今回はその「権利者団体」の誤解がなぜ生じるのか、なぜ教育現場に接近できないのかと言うことを考えてみたいと思います。

 学校教育に「情報」という教科ができ、教育におけるインターネットの利用が促進されるにつれ、ほとんどの学校においてLANがひかれ、インターネットに接続できるようになり、学校やクラスのHPもたくさん作られるようになりました。そこに写真や生徒の作品等いろいろUpされます。
 学校のHPならまず校歌を載せたいと思うでしょう。その時「学校の校歌」の使用について問題が生じました。

 学校の校歌であっても、作詞家が作詞し、作曲家が作曲した音楽の著作物です。ということは、権利保護期間内である場合は、HPで校歌が聞けるようにしている(アップロードしている)場合は、「権利処理」が必要になります。つまり、音楽著作物の管理事業者に管理委託している作詞家・作曲家の楽曲の場合は、当該の管理事業者に申請が必要であり、個人管理の場合は個人の許諾が必要ということになります。
 ちなみにこの「校歌の権利処理」の必要の有無についてアンケート調査したとき、多くの先生が「校歌というのはあなた達(生徒)のものだから、いつでも胸を張って歌いなさい」と指導してきたのに、権利処理が必要とは納得いきません、という感想を漏らしておいででした。
 主に校歌をHPにUPすることに端を発したことですが、合唱コンクールで歌った歌や、吹奏楽部の演奏など生徒が歌唱・演奏する楽曲を皆さんに聴いていただきたい、という思いは多くの学校にあると思います。それは地球上の皆さんにという壮大なものでなくて、地域の人に知っていただきたい、近隣の学校と交流したい、生徒の作品の発表の場がほしいという当然な気持ちからではないかと思います。

 さて、利用者側のその思いが、侵害行為(著作権法上は公衆送信は制限の範囲外なので権利消滅の著作物、引用の要件に該当する場合以外の利用は権利侵害となります)とならないよう、権利者団体も対応すべく努力しました。無許諾のアップロードを権利侵害の警告、訴訟ということではなく、「どうしたら(適法に)利用できるか」という方法を探るべく、利用規程の策定に乗り出しました。そのおかげで、HPでの楽曲使用につき学校教育における利用につき著作権については、無償あるいは非常に安価な許諾料が設定されたわけです。
 で、そのとき、権利者団体の担当者はまずは学校の要望とか意見を聞こうと思ったそうです。いろいろ不満の声を聞くが、きちんととりまとめて聞いた事がないからです。そして、ハタと気がついたそうです「誰にきけばいいんだろう?」。知り合いの学校の先生や、校長先生など個人的な見解を聞くことはよくあります。しかし、教育現場における意見のとりまとめというのはどこがやっているのか?まずは文化庁?それとも個々の教育委員会?と思って伺ってみたところ、「うちじゃない」「管轄が違う」等々たらい回されて、結局全体的な見解のとりまとめの責任を担うところが見つからなかったと。その後どのように交渉されたのかは解りませんが、最終的には非常に合理的な条件での利用設定となったので、そこはさすがだなと思いました。
 これは非常に大きな問題をはらんでいます。お互いが歩み寄る接点が全くないということなのです。いやあるとしてもそれはとてもとても小さい、普通「ここじゃないか」と思いつくようなところが、全くそのような責任を担っていないと言うことです。誰も責任あるコメントをしない、これじゃあどんなに学校教育現場は大変なんだと叫んだところで、ただの愚痴とかわらなくなってしまいます。35条ガイドラインを策定したときには、利用者側(恐らく学校教育関係と思われる)とも協議に入ったという画期的な事が行われたようですが、結局は利用者の同意を得られず、権利者団体の名称のみが記載されたものとなりました。ちなみにアメリカで同様のガイドラインの策定の時も完全な同意はなかったという結果だったように思います。でも、いざ提示されたものについては、批判をする。
 この様なことを総合すると、学校教育サイドも自助努力が必要なのではないかと思えます。全体で意見をまとめ、「教育と著作物」が不可分一体に存在する必要性をもっと深く考え、教育の向上に繋がるようにアピールする必要があるのではないでしょうか。個々の現場の先生の意見を集約し、権利者団体でも国(法律改正等)でも要望していく、そのように現場から声を上げることをもっとすべきではないでしょうか。
 そのような行動がないと結局誤解されたまま、お互い悪者扱いする状態となるのではないかと思うのです。

 私は教育行政の体系、各都道府県、市町村における教育委員会の業務内容等には明るくありませんが、何となく、「教育委員会」というのはその地域の学校のとりまとめ役という気がしています。であるならば、例えば権利者団体が話し合いをもとうとしたときに各教育委員会が結束して、積極的に参加したらどうでしょう。全国にあり、地域の教育を管轄する教育委員会というのはまさに適任ではないかと思うのです。権利者側からのガイドラインばかりが氾濫してどんどん利用しづらくなっていったとしても、現状ではそのやりづらさを甘受しなければならないようです。でもそれおかしい。学校教育現場は不満を言いなから甘受するのではなく、もっと権利者と対等に話す、そのために現場と権利者団体の間に入って調整する役割について考える必要があるのではないでしょうか。学校は教育という非常に大切な役割を担っているのですから。

(E)
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2006年05月23日

教師から見る権利者団体〜誤解と誤認

 途中で「読み聞かせのガイドライン」についてのコメントをはさみましたが、またこの話題に戻りたいと思います。

 さて、先回までに「普通の人の立場」「利用者の立場」という視点からそれぞれ「権利者団体」というものを俯瞰してみました。
 今回は、「教育現場/教師からみる権利者団体」というのはどのように映っているのかということを考えてみたいと思います。私は学校の教員ではないことをあらかじめお断りしておきます。ここに書くのは、私が一部の教師と対面インタビューをした折に抱いた感想です。もしこのコメントをお読みになった先生から他のご意見が頂戴できれば是非参考にしたいと思います。

 学校教育における著作物利用については、著作権法に記載の通り、第35条において先生や生徒が授業に利用する場合には著作物を複製することも、第36条において入試試験問題を作成することも著作権者に無許諾で出来ます。これは、教育が公益事業であることと、教育は他人の著作物を利用せずには成り立たないという実際的な部分とがあるからです。私はこれに加えて、教育は著作権法の究極的目的である「もって文化の発展に寄与する」ことを実現する手段であるからだとも思っています。とにかく、著作権法上「教育」は優遇された環境におかれているのです。
 多くの先生は著作権法第35条の規定をご存知です。条文までそらんじていいなくとも、「教育(学校の授業)では、著作物は自由に使える」という認識はほとんどの方がお持ちです。私がお会いした先生方は主に情報教育やご自分で教材を作成している先生方でしたので、さらに詳細にご存知でした。また、著作物の利用にあたっては場合により権利処理が必要であることも認識されているし、そのために権利者団体の存在もご存知です。実際に権利処理の経験のある先生もいらっしゃいます。但しこの場合最も利用され、最も認知されている団体はやはり音楽の著作物に関係するところです。実際には文芸作品の使用などもたくさんあるので、文芸の団体も認知されてしかるべきだと思うのですが・・・
 それでも大方の先生の「権利者団体」のイメージはけしてよくないんです。極端なことを言えば「学校教育での使用についてまでやかましく言う、まるで***(お好きな単語をお入れください)と同じ」とか、一企業と同じようなイメージを持っているんですね。ゆえに権利処理した場合には「許諾を"勝ち取った"」みたいな気持ちになる。やっぱり「悪者」感が漂っているのです。さらに、権利処理は面倒くさいしよくわからないし、それなら著作権のあるものは使わない方がよい、「著作権フリー」のものを利用しよう、という態度につながっていく。そしてますます、「権利者団体」との溝は深まっていく・・・
 これはおそらく「学校教育に必要なことになぜ許諾が要るんだ」「なぜ費用がかかるのか」という非常に素朴な疑問から来ている感情ではないかと思います。「なぜ自校の校歌を自校のホームページに載せるのに許諾がいるんだ、使用料が発生するんだ(この点は改善されていますが)」、「いい教材だからと思って他校の先生に配るのがどうしていけないんだ」、「この作家の文章はとてもいいので、教科書に掲載されている作品以外の作品を生徒に読ませたいと思ったのに、コピーして配るのはなぜだめなんですか」・・・正直「著作権法上はそこまでみとめられていないんです」と言う説明だけではなかなか納得できるものではないでしょう。「著作権者の権利を不当に害するから」といったって、そうですねと納得できますか?
 たぶん教師から見た権利者団体が「悪」に見えるのは、このような疑問に対して納得できる回答をしないからではないでしょうか。問い合わせをしても、杓子定規で現実に即してない説明をされ、自分たちの主張ばかりして教育現場の実情を理解していない、問い合わせをしたときにそんな対応をされたという先生が何人かおられました。多くの権利者団体の人は学校は侵害の温床だと信じて疑わないので、余計に構えて対応するのでしょう。権利処理を体験された先生の多くが「もう二度とやりたくない」という感想をもっていることも、おそらくいやな応対をされた経験があるからでしょう。
 私がお会いした先生方は、みな権利処理することは吝かではないし、「許諾を取る」というところから教師が勉強しなくてはならないと思っていらっしゃいました。でも手続きは煩雑だし、権利処理について知る機会もないし、結局いろいろな意味で高くつくので「利用しない」という結論になってしまうと嘆いておられました。
 以前に発表された「35条ガイドライン」についても、現場は期待していたと思います。インタビューの中で、「どこまでがよくてどうしたら違反なのかよくわからない」ので、手引きがほしいと言うことをききました。私たちのインタビューはこのガイドラインが出来る直前から直後にかけてでしたので、このガイドライン自体を先生方がどのように評価しているかは解りません。
ただ、このガイドラインの目的は35条の範囲を明確にすることでしたから、その範囲を超える場合にどうしたらいいかは当然記載していません。でも現場としては「じゃぁこのガイドラインに当てはまらなかったらどうしたらいいの?」と考えるでしょう。「許諾を取ってください」っていったって、その方法も書いてなければ問い合わせ方もよくわからない、権利者団体の一覧の掲載だけされている、そう考えるとちょっと不親切だなと思います。これじゃぁここに定められた以外の利用はするなと、暗に教育の萎縮を促しているのと同じ効果ではないでしょうか。
 教師が権利者団体にふれることは、あまり多くありません。制限規定の範囲内であれば必要ありませんし、人的時間的余裕のない教育現場においては許諾が要るようなことはよっぽどのことでない限りできないでしょう。逆に言えば、教育は最も優遇されているがゆえに、『優遇』が当たり前になり、「許諾を取るような特別な場合」にもかかわらず、現状を理解せずに許諾や手続きを要求する権利者団体は教育をないがしろにしている、教育現場を理解していないと、権利者団体について誤認しているのではないでしょうか。
 むしろ権利者団体は積極的に許諾のとり方や、権利処理の方法など実務的な情報の提供を行うべきではないでしょうか。そうすれば教師が権利者団体に触れる機会もでき、その中で誤解が少しずつ解消されていくのではないでしょうか。
 教育と著作権の問題は複雑で根の深いものです。次回は「権利者団体から見た教育現場」という視点で考えてみたいと思います。

(E)
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2006年05月19日

「読み聞かせ」のガイドラインの矛盾点〜その5・完〜

4.『利用できる』著作権の環境を目指して
  「あまりのことに・・・」本件について4回にわたってコメントいたしましたが、その間いくつかのトラックバックやソーシャルブックマークでのコメントを頂きました。この場をお借りして御礼申し上げます。
 
 さて、以前にあるガイドラインが策定されたときにも思ったのですが、「ガイドライン」を作成する人たちの意識の中に「利用者」は存在しているのでしょうか。今回の『読み聞かせ』のガイドラインには利用者団体も協議に参加している旨が記載されコメントもありましたが、本当に納得してのことなのでしょうか。
 トラックバックいただいたブログでもご指摘がありましたが、このガイドラインがアップされてしばらく(といっても3日程度ですが)して、ガイドライン制作の趣旨書(1ページ目)のほかに、『あいさつ文』様のものが追加されています。素朴な疑問です、「今までどおりご利用できる」ならなぜ「ガイドライン」が必要なんでしょうか?問い合わせ対応であれば、個別具体例の列挙(FAQ)の整備の方がどれほど有効でしょう。結局権利を守るためにとりあえず「侵害」とか「許諾」とか言ってけん制しておけという態度にしか見えず、趣旨書も「あいさつ文」も空々しく聞こえてなりません。

 なぜ、権利者の最初の発言は権利誇示と「侵害されている」ということに終始するのでしょう。読者のいない作家、聞き手のいない作曲家でいたいのでしょうか。(経済的にも精神的にも)生活を脅かされるほど、本当に権利侵害されているのでしょうか。確かに著作権法は権利者の保護を図り、著作(権)者の排他的権利を規定するものです。だからこそ侵害の有無、諾否について著作(権)者の主観による裁量を大幅に認めているのです。
 利用する側とて教育だから、子供が対象だからといって、何もかもが許されるとは誰も思っていないでしょう。著作権法の制限規定においても権利を不当に害さない旨が但し書にうたわれています。
 しかし、今の権利者の主張というのはすべてを飛び越えて、とにかく許諾がないと権利侵害だということばかり主張しているように感じます。まるで「利用させてやるから」と言わんばかりに・・・。どんなに丁寧に記載しても「著作権法を越えてまで制限しません」という言葉はまさにその態度の表れではないでしょうか。
 ガイドラインというものは、それに照合することで、安心して著作物が利用できることを目的とすべきです。利用者と権利者は申請−許諾という関係があろうとも、対等の関係であるはずです。契約というのはそういうものです。権利者・権利者団体の方々はそのあたりにもう少し余裕を持っていただきたいものです。
 また、利用者も権利者の発言が不当であったり、わからないガイドラインが発表されたりしたときは、きちんと声明を出すべきです。もちろん世論の高まりを待つというのもひとつの手でしょう。でも多くの利用者は学校教育現場を含め余裕を持ったカリキュラムで年間活動を決めているわけではありません。時間がかかる、ややこしいことに関わっている暇がないのです。だからこそガイドラインはありがたいと誰もが大変期待して、皆失望感で一杯になって、やがて権利者に対して不当な感情を抱くようになるのでしょう。それでも本当にきちんと利用したいならば、利用者は利用者として意見書を出し、議論すべきだと思います。利用者はもっと自分たちの利用法に誇りを持って、権利者と対等であることを認識することが必要ではないでしょうか。

 ただここで、ひとつ大きな問題があります、権利者には「権利者団体」と言うのがあります。しかし利用者には「利用者団体」というのはないのです。利用者の意見をまとめ権利者に意見するほどに組織され力のある団体というのはとても少ないのです。出来れば小さな利用者の団体が集まって共同声明を発表できる、そんなフウに協力していければ、一方的なガイドラインになることもないし、真の意味で「権利者と利用者が手を携える」ことが出来るでしょう。
 権利者団体に対抗できる「利用者団体」というものが今現在未整備であるなら、今ある利用者の団体はそれぞれの目的と必要性認識して、連帯し、提案をしていかなければ何も状況は変わらないのです。文句ばかり言っても具体的な要求がなければ、ただの愚痴にしかなりません。そして利用者が個人や小さな団体として権利者団体に意見しても、あまり相手にされないと言う悲しい現実もあります。
 そのような現状にあって、私たちは利用者と強者になりがちな権利者との間の架け橋としてお手伝いをしていきたいと思っています。
 ガイドラインが利用者にとっても有益であり、必要なものである以上、きちんとしたものができるように、活動していきたいと思っています。

(E)
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2006年05月18日

「読み聞かせ」のガイドラインの矛盾点〜その4〜

3.解りづらい点、問題点。(その2)
 このガイドラインを「読み聞かせ」をする利用者からみると、実効性の点から次のような問題が考えられます。
1. きちんと使おうと思ったときに、何もわからない、ということ。
 ・問い合わせてふたをあけてみないと、許諾を得られるのかどうかわからない。
 (事業者であれば応諾義務があるので、とにかく利用は出来ることはすぐにわかります。)
 ・返答までにかかる時間。(どのくらい前に申請しないといけないかの予測が立ちません)
 ・許諾額。せっかく許可されても、読み聞かせ1回に付き10万円では難しいでしょう。
  まさかありえないと思いますが、さらに出版社の手数料が許諾料の10%かかるなどと言うことでは、使うなといっているのに等しくなります。(先の例で言えば計11万円になる。)
 ・対価発生の場合の責任者(支払い方法)
2. どんな作家の作品についても出版社が責任を持って問い合わせ、諾否を確認してくれるのか、という保証がないと言うこと。
 ・ A出版社に申請書を出したら「その作家の権利はすでにB社に移っていますので、B社に問い合わせてください」とたらいまわしにされるのであれば、直接作家に問い合わせたほうが早いと言うことになります。
 ・ 事業者に委託している作家については出版社は関係ないですから、出版社から事業者に申請書を転送してもらえるのでしょうか。

 そもそも「出版社」にはどういう権利があるのでしょう?作家の代理人?作家との共同著作(権)者? 著作権法上考えられるのは「頒布を目的とする」出版権だし、作家と出版社の個別の契約に則った話なら、全ての出版社が同じような契約書で同じような権利を作家から譲渡あるいは許諾窓口権を設定されているという前提がないと、結局それぞれ個別に交渉がいりますと言う結果になって意味がないんじゃないでしょうか。
 出版契約の実態という調査を見ても、自社で作成した契約書を使用しているところが多数ありますし、著者との出版契約は5割程度しか締結されていないことがわかります。作家−出版社の間の権利関係が不安定なのに、利用者には厳しいことを要求すると言うのはちょっとどうかと思います。もちろん書面契約がなくても「友好関係」があるから大丈夫と言うことかもしれませんが、じゃぁ利用者も友好関係を作るというところかはじめたいと思うのではないでしょうか。
 真のガイドラインであるならば、「物事を進めるうえでたよりとなるもの。参考となる基本的な方針。手引き。」(大辞林)足るべきなのに、これでは混乱の指針でしかないような気がします。

 問題は「出版社」という企業あるいは出版社の集合体である**出版協会(いくつかありますが特にどの団体を指しているわけではないので、単に出版協会とします)の立ち位置ではないでしょうか。
せめてこのガイドラインに則って利用させたいならば、申請書はすべて出版協会宛にして、出版協会が各権利者宛に送付する、このくらい責任をもってすべきではないでしょうか。
 利用者に手続きを踏ませるなら、出版社(出版協会)側も処理手続きの整備と簡便化について踏み込むべきではないかと思います。

(E)
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2006年05月17日

「読み聞かせ」のガイドラインの矛盾点〜その3〜

3.解りづらい点、問題点(その1)
 先回とかぶる部分がありますが、「ガイドライン」としていささか欠けているのではないかと思われる部分があるのではないかと思います。

 先回「やむを得ない改変」「著作権等管理事業法における応諾義務」についてふれていないと書きました。使用できる事例の具体例もないと書きました。もう一つガイドラインとしてあまり良くないと思われるのは「お話会・読み聞かせ団体等に〜」のページのうち「C.「著作権の制限」規定により例外的に無許諾で利用できるもの(お話会等に関係するもののみ)」に、著作権法制限規定を列挙したということです。
 第37条(点字による複製等)は関係ないと思われますし、そもそも「お話会」なんですから第30条(私的使用のための複製)もかえって混乱させるだけなのではないでしょうか。それとも私的な「お話会」が念頭にあるのでしょうか。それでも「私的利用」なんだからいちいち書かなくても当然に著作権は制限されるのだし、大きなお世話という気もするのですが…。このガイドラインを参考にする人は著作権法を全く知らない人だということが前提であるならば、もうちょっと詳しく記述しないと理解できないでしょうし、ある程度知っている人なら、必要なこと以外はもう少し整理して記述したほうがよいと思います。第32条(引用)にしても「お話会」のガイドラインで、引用の目的上正当な範囲として「報道、批評、研究」と著作権法そのまま記載して何か役に立つ情報となるのでしょうか。「読み聞かせ」はどう考えても、報道にも批評にも研究にも該当しない事例が圧倒的なのではないでしょうか。であれば、この1文を読んだ人は「そうか、読み聞かせは報道でも批評でも研究でもないから「引用」とかも出来ないんだぁ」と思うのではないかと危惧します。
 ガイドライン作成の意図があくまでも「お話会・読み聞かせによる著作物利用」に関するものである以上、それに付随した情報で作成すべきではないかと思います。
 
 このガイドラインの問題はそもそも作成時における以下のような問題から生じているのではないかと思われます。
1. 想定されるガイドライン利用者像が定まっていない点。
  著作権法の知識の有無、年齢(中学生のボランティアが保育園で読み聞かせをやろうと思ってもこれじゃわかりません)等。
2. ガイドライン策定の目的。作家の権利保護なのか、出版社の権利(何の権利かわかりません)保護なのか、利用促進なのか、利用規制なのか、単なる「アピール」なのか
3.他の法律との整合性の調整不足。
  先にガイドラインの法律的取り扱いにも問題があると述べましたが、さらに、指摘しますと、このガイドラインに基いて申請書を提出するのが個人である場合、個人情報の扱いについて一切記載がないと言うことがあげられます。

 あらかじめこのような点をしっかり定めずに、ただただ「読み聞かせってはやってるけど、あれって著作権上どうなってるんですか」や「挿絵をコピーされたり、拡大したりして使うのはあんまり好ましく思えないんですよね」と言うような意見や感想から、ガイドラインでも作りましょうかと言う流れになってしまったのではないかと思うのです。ガイドラインを作成しようとする試みは大変評価できます。しかしきちんとした調査や条件の実効性を詳細に検討せずに、単に著作権法の抜粋のような形になってしまったことは残念でなりません。
 それにしても、これだけ問題点が指摘できるガイドラインを公開してしまって、利用者は果たして信用していいものかとかえって不安にならないでしょうか?

 次回は利用者の視点からこのガイドラインの問題点について述べたいと思います。

(E)
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2006年05月16日

「読み聞かせ」のガイドラインの矛盾点〜その2〜

2.気になるところ。
 いくつかのブログその他でこの話題が取り上げられております。作家の著作権の保護について正当であるという見解、利用者側の萎縮を気にする見解いろいろあるようです。
今回は純粋に著作権法から、「この表現変じゃないか」と言うところをいくつか申し上げたいと思います。

 まず、「出版権」と言う言葉です。
 加戸先生の逐条講義*1には、出版業界において「出版権を取得した」というと「著作権者から著作物の独占的複製許諾を得た場合」とか、「印刷・出版に関する複製権の譲渡を受けた場合」と言う意味に実務的に用いられており、その場合は「債権的権利とか著作権の支分権としての印刷、複製権のことをさす」とあります。一方著作権法に規定される「出版権」とは「著作物を出版することに関する排他的権利である出版権」を「出版社に設定すること」です。そして出版社とは「その著作物を・・・出版することを引き受ける者」であり、「出版とは・・・その複製物を刊行物として発売・頒布することを意味」しているとあります。
  さらに「「出版権」は頒布の目的を持って複製する権利」であると解説されています。
つまり、業界慣習としての実務的意味では「出版権」=1.著作物の独占的複製許諾権、2.出版複製譲渡権、著作権法の意味では「出版権」=出版することの排他的権利、ということです。
 とすると、実務的な意味の1「独占的複製許諾権」以外にこのガイドラインに記述されている「出版権に抵触」と言うことはありえないのではないかと思われます。なぜなら「読み聞かせ」は頒布目的の出版ではありませんし、出版に関する複製権にも該当しません。
 つまりガイドラインでは「絵本の拡大使用が出版権に抵触」と記載されていますが、「読み聞かせ」は頒布目的ではないのでそもそも「出版権」とは関係ないですのでまったく当てはまらないと考えられます。「出版権=独占的複製許諾権」である場合に限り、A出版社の独占的複製権の侵害に該当する可能性はあると思われます。
 でもそれなら、「出版権」が指すところは出版業界の慣習的な用語だと言うことを記載すべきでしょう。普通の人が「出版権」って聞いたら単純に「出版する権利」と思うでしょうし、著作権の知識がある人なら「著作権法」で調べるでしょうが、市井で「出版権=独占的複製許諾権」と思う人はほとんどありえないと思います。

 次に「著作権者」と「著作者」の混同が上げられます。
 著作権法に則って著作物の適法利用についてのガイドラインであると言うのであれば、用語は正しく使用したほうがいいのではないかと思います。特に「お話会・読み聞かせ団体等による著作物の利用について」(2ページ目)最後の段「…著作物に改変等を加え使用したいというときは、全て著作権者の許諾が必要・・・」とありますが、著作者人格権は著作者の一身専属であり、著作権者の許諾ではなく、著作者の許諾であると思われます。
 また、「全て許諾が必要」とありますが、著作権法上においては同一性保持権であっても「やむをえない改変」のときは認められています。「そのような例外的規定を記載すると利用者が混乱する」と言うことを懸念しているのかもしれませんが、正しい利用を促すにはやはり例外的規定についてもきちんと記述すべきではないでしょうか。
 この「著作者」と「著作権者」の混同は、次の「営利の場合…」という頁の記載にも同様に見られます。

 それから不用意な略語を使うことも注意した方がいいのではないでしょうか。「A.保護期間のすぎた著作物」のうち「2.外国人の著作物」のところで「…翻訳者の二次的著作権がある場合」という記述があります。二次的著作権ってなんですか?「二次的著作物の著作権」の略でしょうか?一般名詞としては特殊すぎるし、著作権法の用語としては舌足らず。「二次的著作権」と書いて理解できる人は著作権法に詳しい人が「ああ、この意味かな」と推測できる程度ではないでしょうか。ガイドラインなんですから、もう少し丁寧に記述した方が良いのではないかと思います。

 さらに管理事業法との関係はどうなるのでしょうか。
 著作物については、「著作権等管理事業法」というのがあり、それぞれの著作物について著作権の管理運用をする団体が文化庁に登録できるようになっています。ちなみに著作権等管理事業法の第1号事業者は(社)日本音楽著作権協会(JASRAC)です。この著作権管理事業法はそれまで仲介業務法によって指定団体しか出来なかった著作物の管理運用を、登録制にし、著作物の管理運用についても広く公正な競争の元で行い、利用者の便宜を図ることを目的とした法律です。
 そして、この事業法に定められた事業者には著作物利用について、利用者への応諾義務があります。つまり、事業者に委託した著作物の利用は原則OKでしかありえないと言うことです。但し、対価の徴収がありうると言うことです。
 この点を踏まえると、このガイドラインの矛盾が見えてきます。
 このガイドラインでは「読み聞かせ」に著作物を使用する場合には、すべて各出版社宛(と私には読めますが、おそらく各出版社を通して作家にという意味でしょう、そう願います)に許諾を求めろといっていますが、事業者に委託している作家については、出版社に問い合わせる必要はないはずです。事業者に申請書を出せば使用は許諾されるのですから。事業者に著作物管理を委託していない作家で、かつ出版社に問い合わせ窓口を依頼している作家についてのみ、各出版社宛に申請するということになるのではないでしょうか。
 事業者に委託している作家、していない作家等の一覧あるいは、問い合わせ先まで記載してこそガイドラインと言えるのではないでしょうか。
 この点については文芸の著作物についての事業者のご意見をお聞きしたいところです。

 そして最後にこのガイドラインを策定した団体には、どのような思いがあるのでしょうか。「円滑な利用のために」作成したとすれば大変結構なことです。これを見てみんなが気軽に手軽に、しかし権利をきちんと守って「読み聞かせ」出来ればどんなにすばらしいでしょうか。でもそのような立場に立ってガイドラインを策定したのでしょうか?
 「やむをえない改変」についても、「著作権等管理事業法における応諾義務」についても、作家の所属についても一切記載しないで、「権利侵害になる」「出版社の許諾をとれ」と言う姿勢は、あまりにも横暴ではないでしょうか? 
 どうして、著作物の利用について、権利者は二言目には「侵害」「侵害」というのでしょう。どうして「こうやったら使えます」ということを、現状に即した事例で簡単に沢山列挙しないのでしょう。どんなにきれい事を言っていたって、「作り手と渡し手が手を携えて」といったって、使える方法を「互いに」考えていかなければ、どんなに長い手があったとしても携えることはけっして出来ないのではないでしょうか。

(E)

 *1著作権法逐条講義第4訂新版427頁、433〜434頁、437頁。
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2006年05月15日

「読み聞かせ」のガイドラインの矛盾点〜その1〜

あまりのことに今回はこの件について書きたいと思います。いくつかの問題点、矛盾点の指摘を含め3回程度本件について述べていきます。

1.最初の感想。
児童文芸家の4団体が、「読み聞かせ」についてのガイドラインを発表しました。

「読み聞かせ」に細かい注文 著作権めぐり作家ら(asahi.com 2006年05月13日13時37分)
http://www.asahi.com/life/update/0513/006.html

日本書籍出版協会(平成18年(2006年)5月12日)
児童書四者懇談会作成 手引き「お話会・読み聞かせ団体等による著作物の利用について」
http://www.jbpa.or.jp/guideline.htm

これは、何が目的なのでしょうか?
上記URLの記事から引用させていただくと、「作成した4団体は『絵本は完成された造形。勝手な改変で、著作者が不快感をもつこともある。細かい規定は、読み聞かせる側の不安解消を狙った』と話す」とありました。
本当に「不安解消」が図られると思っておられるのでしょうか。
記事には続けて、日本図書館協会からは、「内容がわかりづらく法的に問題と言うイメージが広がりかねないと申し入れ、このガイドライン作成に加わった親子読書地域文庫全国連絡会という団体は一定の評価をしつつも現場の萎縮を懸念している」とあります。
読み聞かせを行っている多くは、法律用語には無縁の、普通に子供が好きで、よい文芸作品を子供達に広めたいという人たちなのではないでしょうか?読み聞かせが広がって、そこでは不当に著作物が複製されて著作権が激しく侵害されている、著作(権)者の利益も、名誉声望も著しく傷つけられているのでしょうか。知らないうちに、法律に精通した「プロ」の「読み聞かせ屋」が暗躍して文芸著作物が危機に瀕している!と言う現状なのでしょうか?
いったい何が目的でしょう?「読み聞かせ」撲滅運動でしょうか、それとも新たな財源確保でしょうか。

この「読み聞かせ団体等による著作物の利用について」のガイドラインでは、「私たち児童書の作者と出版社では、そうした場(作品が子供たちに届けられるあらゆる機会の意か)での著作権のやり取りがスムーズに運用されることを願って、このたび簡単な手引きを作成しました」とあります。では、出版社の方は(作者の方もですが)、このガイドラインを見て、読み聞かせを行うときにどうすればいいかわかりますか?

このガイドラインがガイドラインとして非常に評価できる点は、非営利の概念として、「料金」の定義をはっきりしたと言う点だけでしょう。会場費や電気代などを含み、非常にわかりやすいし、現状に即した方針であろうと思います。どうしてこの流れでもう少しわかりやすく、平易な言葉なガイドラインにしなかったのかという疑問は否めません。

一方読み聞かせをしようと思っていた人にはこのガイドラインはどのように映るのでしょうか。かなり著作権についての啓蒙が進んだとはいえ、「著作者人格権に抵触(注意:「抵触の恐れ」ではない)、著作者の許諾を要す」と書かれたガイドラインをみて「そうか、著作者人格権に抵触か。許諾書をFAXしなくちゃ」と思うでしょうか?FAXして確実に許諾されるか判らない、使用料も発生するかもしれない、どのくらいで諾否の回答が来るのか、出版社から作者に問い合わすのだから時間がかかるかもしれない、等等の不安を解消するような記述は、このガイドラインにはどこにも書かれていないのです。「許諾を求めろ」だけです。

きちんと著作物が利用されることは大切ですし、そうあるべきです。しかし、このガイドラインと著作物の適正利用の目的の間には、恐ろしく広くて深い溝があると思います。そして大きな矛盾あります。

次回はこの矛盾について述べたいと思います。今日はあまりのことにとりあえず感想にとどめます。

(E)

※「「権利者団体」が「悪」な訳」本連載終了後に再開します。
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2006年05月11日

「権利者団体」が「悪」な訳

GWでしたので1回お休みを頂きました、失礼しました。

さて、前回までで、一般の立場、利用者の立場から「権利者団体」がどう見られているかということを書きました。一般の人には存在からしてあまり関係ない、一方「著作権」を生業とする利用者にとっては無くてはならない、そしてその中間に位置する利用者には時々に応じて評価を変化させるが往々にして良い評価はあたえない、それが「権利者団体」というもののイメージでしょう。
 
その結果、一般にはますます「権利者団体」の姿はぼやけていき、故にますます世間から乖離し、多くの利用者(中間に位置する利用者が大半を占めると思われる)の「使い勝手が悪い」「高い」という感想によって悪いイメージが増幅されることになるのではないでしょうか。

何が原因なのでしょう。一つは先回にも書いたとおり「権利者団体はアピールが下手」ということでしょう。市井の持つイメージが自分たちの描くイメージとかけ離れている、もっと言えば一般にその存在すら知られていない様な状況を理解しないで、権利権利と主張している、そう見られても仕方がない状況を自ら作り出していること。一般には権利者団体の必要は薄いし、なかなか業務の内容が理解しにくい業態だということ。にもかかわらず、まず自分たちが何者なのかということを理解される前に、いきなり法律用語と権利を振り回していると思わせるような態度では、良いイメージには決して結びつかないでしょう。

そしてもう一つの原因は、個人の利用者も企業の利用者も一緒くたにして扱っているという対応のまずさがあるのではないでしょうか。
著作権を生業としている人間には、使われている用語も権利者団体の方針もだいたい理解できますが、初めて団体と交渉する個人のどれくらいが、団体のいっていることが理解できるでしょうか。そしてこれまで「権利処理業界」の同業者しか対象としてこなかった団体の担当者が、何も知らない人に対してどのような態度で接しているか、考えたことのある団体がどれほどあるでしょうか。
結局「業界の慣習」に「おごっている」のだといわれても仕方ないような対応をしてる可能性は否定できません。
いや、今まではそれで良かったのです。プロの利用者と権利者団体はお互いビジネスですから。
しかし「一億総クリエータ」となってしまった現在、ビジネスだけでない単なる利用者も大勢います。その人達は正確な知識が無くて当然ですから、業界の人から見れば「何を当たり前なことを」ということを質問する。それにうんざりして答えている権利者団体の担当者がどれほどいるかと考えれば、権利者団体を悪く思う人が増えても当然ではないでしょうか。

その意味で現在の「権利処理業界」は一部の(大口優良)顧客を相手にしてきた「外商部的商売」から一般ユーザを対象とする小口サービス業になってきていると言えるのではないでしょうか。

そして権利者団体も自身を見直したり、改善したりする必要があるのではないでしょうか。

(E)

追記:
以上を読んで「あれ?権利者団体って結局何するところなの?」とか「権利者団体の仕事内容が書いてないじゃないか」と思われたのではないでしょうか。
そう、そこ。そこが理解されていると実は今述べたような感想にはなりにくいはずなんです。
でもなんとなく納得した方もいたのではないでしょうか?
「権利者団体の仕事」については別の機会に譲るとして、次回は「教育現場/教師からみる権利者団体」という視点から考えてみたいと思います。
posted by 著作権教育フォーラム at 16:42| Comment(0) | TrackBack(1) | コラム

2006年04月29日

権利者団体は悪の団体か(その3)〜利用者からみた「権利団体」

 利用者、つまり一度でも「権利者団体」を利用したことのある人には「権利者団体」はどのように映るのでしょうか。
 ブログとか自分のHPとかを持っている人が増えてきましたから、若い世代(うっ)を中心に、一部には「権利者団体」は何をしてる団体かという点は的確に認知されているのかもしれません。私が関わっている著作権教育イベントの参加生徒もHPにおける著作物利用については(その正誤はともかくも)非常に知識がありました。曰く「個人利用なのに高い」と。もっとも彼は商業利用がその何倍もかかると知ってびっくりしていましたが。
 このように「一般の」利用者からみた「権利者団体」というのは自分たちがその団体を利用する必要性があることまでは理解していても、やはり利用しない人と同じで「いぢわる」とか「守銭奴」とか思っている、あるいは「こんな許諾金額は使うなというのと同じ」という反発心を呼び起こし、結果として無断使用に走るということが多い気がします。「俺たちは一銭ももうけてないのに」というのがその理由のようです。
 一方「他人様の著作権」でご飯を食べている、つまりは私のような利用者にとってはどうでしょう。もちろん私たちも「著作権者」ではあるわけだし、場合によっては「著作者」です。しかし自分一人では「著作物」が成り立たない、つまり BGMのないテレビや映画は困るという権利者であり、利用者なのです。この立場からは「権利者団体」はものすごく重要です。とくに作品について幅広い展開をしようと思ったら、不可欠です。著作物の二次利用について、こちらの詳細は別の回に譲るとして、とうてい一人では(1会社では)できないことを団体はやってくれる、一人一人交渉するより、団体相手に協議する方がどれほど効率的か、と思うわけです。これはけしてお金に意地汚いわけでも、個々の権利者(出演者や音楽家やその他)をないがしろにしているわけでもない、ただ商機の逸しないためには、どうしても必要なステップなのです。
 「そこまでして俺は金儲けしたくない」という個人の権利者がいる、それはそれで結構です、でも一方で「それでも俺はこの作品を世に広めたいなぁ」と思っている権利者がいる、その時、どちらの意見を重視すべきか、一人の人の意見が大勢出演している作品を闇に葬ってしまう事になっていいのか・・・著作権が個人の権利だとしても、大勢の権利者によって成り立つ作品であったならどうしたらみんなハッピーになれるのか・・・苦悩しながらも、団体所属の人たちの意志は団体の決定に同じというのは、一人を相手に100人とかの同意を得られる(もちろん反対もですが)ということで、私たちからすれば大変にありがたいことなんです。
 おそらく、「権利者団体との包括契約」がなければ、大多数の著作物は伝達が出来なくなるでしょうし、利用もしにくくなると思います。利用者にとっては本当は共存関係にあるとはいえ、やはりありがたい存在なのかもしれません。

 まぁ、それでも実際に交渉したことない人や、申請手続きをしたことない人は、高いだの遅いだの文句いってますけどね。

(E)
posted by 著作権教育フォーラム at 12:17| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム

2006年04月27日

権利者団体は悪の団体か(その2)〜普通の人からみた「権利者団体」

 「権利処理」ときいて、はっきりとしたイメージを持てる人はどのくらいいるのでしょう。もしかしたら「権利処理」という言葉は、私のような(良くも悪くも)著作権を商売にして、著作権で食べてるもの達には当たり前の言葉ですが、実際はかなりジャーゴン(符丁)なのかもしれません。そういう点から言えば、普通の人というのは権利処理も著作権も全く意識しないでよい人たち、言い換えれば「権利者団体」と無縁な人たちということになるでしょう。
 この様な視点から考えると「権利者団体」というものは、そもそも存在からしておよそ通常の生活から乖離しているのだといえます。もちろん著作物や著作権に囲まれて暮らしているということの理解は、これだけ「著作権」についての「啓蒙」が進めば周知のことです。しかし、「それが著作物」だとか、そこに「著作権」がある等と思って生活している人はいないし、ましてや権利処理や権利者団体があるということまで意識を及ぼす人はほとんどいないのではないでしょうか。いるとすればそれは私と同じような仕事をして、「著作権」にとりつかれている人ということでしょう。
 つまり一般的には、「権利者団体」というものは、著作権とか著作物という視点からではなく、「あの団体はすぐ主張をする」とか「あの団体はあんなに儲かっているのにまだ裁判までして金を取ろうとする」というところのみ、評価されているのかもしれません。
 これまでの日本的常識では、「自己主張」をやたらにすることは恥ずかしいことである、「お金に固執」するのはみっともないことである、とする価値観でした。まして、和を尊ぶ日本人です。「権力」を笠に着て「訴訟」で「弱者」から金を巻き上げるなんざ、あこぎにもほどがある、ということになるのではないでしょうか。
 ただ、そうは思っても、「自分がよければ人のものを盗んでもよい」とは絶対に思わないでしょうし(そう願いたいですが)、ましてやおまえのものは俺のものというジャイアニズムが肯定されているとも思わないでしょう(そう思いたいです)。つまり、著作物の無断利用はいけないことだし、他人の著作物を自分のもののように使用してはいけないということは、理論的にわかっているのです。けれど現実的な行動とその理解が結びついているとはいいがたい。要するに結局よくはわかってないのです。「権利者団体」って何をしてるところなのか、本質は何なのか、わからないのです。だからこそ、自分が「著作(権)者」になった瞬間に、ものすごい勢いで理解が進むのです。

 ということで、市井では著作権も権利者団体も全く関係ない、だからこそ「一般的常識」にあわない「企業理論」で動いているとみえる「団体」には非難が集中するのではないでしょうか。

 「権利者団体」も、「著作権を守らない奴は悪奴だ」というネガティブキャンペーンばかりでなく、もっとうまい広報をすれば、正しい理解もすすみ、この溝も浅くなるのように思います。

(E)
posted by 著作権教育フォーラム at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム