2006年08月04日

著作物の(二次的)利用 その9〜学校における著作物利用と権利処理(3)

<権利処理を必要とする場合>

 先に申し上げた「権利処理が必要となる場合」をそれぞれ具体的にみていきます。
 まずは、権利者の権利を不当に害する場合。
 これは利用する著作物の、種類・本来的用途・複製される部数・状態から判断します。
 よく言われますのは、市販の問題集を1冊だけ買って生徒に全部コピーして配る例。これは問題集は元々一人1冊購入され利用されることが目的なので、問題集の出版社の経済的権利を不当に害すると言うことで、学校の授業といえども許されないといわれております。他に、合唱コンクールの課題曲の楽譜を全員分コピーして配るですとか、1台分しか得ていないPCソフトのライセンスを複数台のPCにインストールする等があげられます。
 複製される部数や使用の状態に関係するものは、受け持ちクラスの人数以上の部数をコピーすることがあげられます。では、何部までなら許されるのか。30なら良くて50はだめなのか、一クラスというが大学だと300人規模のクラスもあるではないか…等々色々と話題に上りますし、50まではよいといった発言が一人歩きしていることもありますが、何部までは良いという明確な規定はどこにもありません。
 ただよい目安としては、35条ガイドラインにおいて「原則として、部数は通常の1クラスの人数と担任するものの和を限度とする」とし、続けて「小中高校及びこれに準ずる学校教育機関以外の場合、1クラスの人数は概ね50名程度を目安とする」となっています。ガイドラインとして各権利者団体のHPにも記載されていますので、少なくともこれに従った部数であればクレームも付きにくいといえるかと思われます。
 それからあまり言われないことかもしれませんが、学校での利用といえども著作者人格権まで制限されるということではありませんので、注意が必要です。もちろん通常の著作者人格権の及ぶ範囲よりは狭いと解釈されていますが、著作者の意に反する改変、つまり望まないような改変は学校教育といえども容認されないということになります。

 次に著作権法の例外に該当しない利用の場合。著作権の制限に該当しない場合というのは、著作権法30〜50条の規定に含まれない場合です。
 公衆送信は原則全て当てはまりませんので、注意が必要です。(当てはまるのは同時遠隔地地形の場合のみであり、私的利用でも例外ではありません)また、非営利無償無報酬以外の上映等も該当しません。
 入場料を寄付する目的でコンサートを開いた場合でも、入場料を徴収した時点でそれは無償ではないという解釈が取られています。先般の東京地方裁判所の判決を受けて、逐条講義の解釈についてご意見は多いと存知ますが、「著作権が著作者の排他的独占権である」と法が認めている以上、その例外としての規程は厳格でなければならないということの現われとしては正しい解釈ではないかと思います。但しそれが現実社会や実務にそぐうものであるかという議論は別であろうと思います。

 そして、目的外の使用をするとき。これは「著作権の制限に該当する利用法」で利用したものを別の形で利用する場合、つまり、35条に該当する行為によって作成された調べ学習の成果をHPで公開する、というような場合です。調べ学習の成果の中に他人の著作物を複製し利用していても、著作権の制限の範囲ですので問題はありませんが、これをHPで公開、つまり公衆送信するとなると権利処理が必要となる訳です。
 許諾を取って有償のコンサートを開いたら大変好評だったので、DVDに複製して皆に配るというのも、コンサートを開く=演奏するという許諾と、DVDに固定し複製するという行為は別の行為であり、再度権利処理が必要と言うことになるわけです。

 さて、自分が利用が著作権処理が必要な場合に該当したらどうすれば良いでしょう。次回は「権利処理」の実際を解説してみようと思います。

(E)

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2006年07月28日

著作物の(二次的)利用 その8〜学校における著作物利用と権利処理(2)

<権利処理が必要のない場合>
 では、早速権処理の必要がない場合というのを申し上げましょう。
 具体的には、次に言う場合は著作権法の例外、つまり著作権の権利制限に該当する行為ですので、権利処理の必要がありません。
 著作権法第35条第1項に該当する、複製=授業に使用するために著作物を複製、コピーすること。コピーには、録音、録画も含まれますし、インターネット上の著作物をPCにダウンロードすることも「複製」に当たります。調べ学習で生徒がインターネットから文献等を探し出しダウンロードして利用するというのは、この35条に該当する行為となるわけです。他に先生が授業で利用するため新聞記事をコピーして配布するという行為も該当します。但し、コピーについては、コピーの数量に注意が必要となります。
 次に同時遠隔地授業のための公衆送信の場合、これはA大学の授業をB高校で同時に配信して、B高校の生徒も授業を受けるというような授業の過程においての場合です。この場合は「同時」と言うことが重要です。
 これ以外の公衆送信、つまりネットにアップロードすることは許諾が必要ですので、たとえフォローアップのつもりで授業の様子をサーバに保存しておくなどするのは、この範疇には入りませんので注意が必要です。
 この様な学校での利用においては、必要の範囲内においてですが、例えば、英語の文献を原文では解らないので先生が翻訳して生徒に配ったり、まだ習っていない漢字を仮名になおすというような翻案して利用することも、権利者の許諾を必要としません。
 学校の授業でビデオを視聴したり、教科書の朗読や、語学テープの再生、校内放送で音楽をかける等、これらは第38条の「営利を目的としない上映等」に当たります。「上映等」ですので、上映、演奏、上演、口述という無形的な利用法が全てこの条項に当てはまります。
 他に入試試験の問題作成は36条「試験問題としての複製等」で認められる行為です。
(詳しく知りたい方は著作権法30条から50条にかけてを参照してください。)

 このように、教育目的という事で色々優遇されますが、「著作権の制限に該当」しないような利用の場合は、原則として商業利用の場合の権利処理と同じ手続きを踏むということになります。この手続きがつまり権利処理になります。
 権利処理が必要となる場合は
  1. 著作権法の例外に該当しない場合
  2. (さらに)権利者の権利を不当に害する場合。
  3. 目的外の利用の場合。
 となります。

 では、次回は権利処理を必要とする場合について考えてみたいと思います。

(E)
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2006年07月19日

著作物の(二次的)利用 その7〜学校における著作物利用と権利処理(1)

 
 今まで、著作物の構成から著作物を借用するという行為について考えてみました。先日、教育委員会の先生方に「学校における著作物利用と権利処理」というタイトルでお話しをしてまいりました。今回はそのときの内容を加筆修正し、利用するということを中心にすえて、学校における著作物の利用と権利処理という視点からお話ししたいと思います。

 まず、権利処理とは何かということを再度確認しましょう。
 権利処理とは、著作物の利用に当たって、著作権者等の権利者から許諾を取る作業のことをいいます。通常「著作権処理」といいますが、著作権以外の、例えば肖像権ですとか所有権などの権利についても許諾を取る作業も併せて権利処理といいます(但しここでは著作権処理について申し上げます)。これは利用する前に許諾を取る必要があります。
 よく、利用した後に、あるいは映像作品だと編集が終わった後から権利処理をするとかんちがいしている方がいますが、原則は利用の前です。
 ですので、権利処理の流れは、使いたい著作物が決まったら、権利者を捜し、交渉し、許諾を得たら使用料を支払うということになります。
 権利処理をする相手は、当然、著作権者等の権利者です。著作権というのは複製権、上映年といった著作物の利用の仕方についてそれぞれ権利、これを支分権といいますが、があり、その権利の総称が著作権というと考えるとわかりやすいかと思います。
 著作権者は著作物の利用方法を細かく定めて諾否を決めることで、自分の権利がどのように扱われるかをコントロールし、権利侵害をされないようにします。そのためには、利用者と直接交渉し、契約を交わすこととなります。しかし個別に交渉・契約するというのは、著作権者等の権利者にも手間が掛かりますので、予め使用許諾内容を定めておいて、著作物管理団体に管理委託することも可能です。
 これが音楽であればJASRAC等であり、利用者は権利者と直接交渉ではなくて、管理団体に申請書を出すだけですむ、ということになるのです。
 さて、著作権は著作者の独占的排他的権利ですから、本来著作物の利用に当たっては全て著作権者等の権利者の許諾が必要となります。また、異なる利用形態の場合は改めて許諾を取り直すと言うことになります。例えば、放送番組をDVD商品にして販売するときは、放送の権利処理とDVD化の権利処理はそれぞれ行わなければなりません。
 但し、例外的に許諾を受けずに利用できる場合があります。著作権は著作権者のもつ非常に強力な権利ですから、著作権者が NOと言えば利用できません。その独占的排他的権利を一定の条件の下の使用では、権利者の意思にかかわらず例外的に利用することができます。この例外とする場合に該当するのが、学校教育等での利用なのです。この様な例外的に許諾を得ずに利用できる場合を「著作権の制限」といいます。著作者の持つ「権利」を制限するわけです。
 学校教育現場で著作物を利用する場合の多くが、著作権法第35条(学校等教育機関における複製等)、第36条(試験問題としての複製等)、第38条(営利を目的としない上演等)等に該当すると思われますので、普通に授業で使ってる場合は、権利処理は必要ないということになります。

 学校における著作物の利用というと、すぐに思い出されるのが著作権法第35条ではないでしょうか。これは、学校教育というものの重要性と公共性を鑑みて、又著作物の利用は教育には不可欠であるという実際的な側面から、教育利用についてはなるべく自由に使えるようにしようというものです。但し、今まで申し上げたとおり、著作権法に規定される例外の一つであるということを忘れないようにしなければなりません。規定された条件を満たせなければ、学校での利用といえども、権利処理が必要となるということを理解いただきたいと思います。

 私は学校においても権利処理をしなければならないといっているのではありません。現行の著作権法に則った利用をするのであれば、学校現場においても著作物の利用について正しい理解が必要であると言うことを認識すべきであると申し上げたいのです。その上で、「やっぱりおかしい」「使いづらい」等々の声を、現場の先生方からあげていくことで、あるいは法改正等の具体的な改善アクションに繋がると思うのです。声を上げるためにはまずは理解すること、定められたとおりに利用してみることが重要ではないでしょうか。

 次回は、学校における著作物利用のうち、「権利処理が必要のない場合」を具体例を交えて説明したいと思います。

(E)

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2006年07月13日

著作物の(二次的)利用〜その6.実際に利用する場合の注意点

 これまで数回にわたって、いくつかの著作物の構成について説明しました。なぜ権利処理をしなければならないのかということは、この著作物の構成を知らないと難しいものです。放送番組や、番組映像の抜き出しがなぜ放送局の許諾だけではできないのか、小説の利用を出版社では許諾できないのはなぜか。権利処理をしているとだんだん著作物というものがどういうものなのか、著作権とは何なのかということが見えてきます。「著作物を創作した者を著作者といい、著作者は独占的排他的権利である著作権を持つ」ということが実感として理解できます。どんなに言葉を尽くしてもどんなにお金を積んでも利用できない著作物がある、という事実から著作権というものが、利用の諾否であるということがわかるのです。また権利処理というのは権利者を捜すところから始まる地味な作業なのですが、この二つの実務経験から、著作権管理団体の意義と必要性が理解できます。私は権利者団体から賄をもらってるわけでも、関係者でもありません。一権利処理実務者として思うのです。彼らが居丈高であったり、市場動向、世論を全く無視した権利主張をする所があるところは否定しません。しかしそれでも、申請すれば許諾されるというのは大量に処理する側としては大変便利なのです。存在の善悪の評価はさておき、申請すれば許諾されるという点については記憶の隅にとどめておいていただければ、必ず訳にたつ情報であると思います。
 さて、本題である、実際に著作物を利用する場合の注意点です。
 まずは著作物は一つの著作物から成り立ってるわけではないという点です。従って許諾を求める先が一つだと安易に考えないことが重要です。幾度も申し上げましたが、このもっとも基本的なことは忘れがちで、「権利者の確認がいります」と言おうものなら、「おまえが権利者だろう」っと言い返したくなるのです。使用する著作物は一つでもその背後に潜む著作物があるということをふまえ許諾先を想定することが必要になります。一つの著作物を構成している要素に分解してみるという作業は有用です。そうすることで許諾を取る相手と権利が明確になります。音楽の著作物なら作詞と作曲2つの権利があるし、楽曲をCDから取れば、さらに演奏家(実演家)、レコード会社が絡んでくる、小説は中身だけが著作物だから、作家の権利…というフウに。
 しかし、複数の権利者がいるからといって、それをめんどくさいというフウには思わないでいただきたいです。なぜ著作物を使いたいと思ったかという自分の欲求に立ち戻ることで、自身の創作意識や作品の完成度を高めるという創造の原点、それこそ文化について考察する機会ととらえるようになればと思います。
 次に無許諾で利用できるという著作権の例外規定(著作権の制限)はなるだけ考えないことをあげたいと思います。授業で使うからといってすべてが著作権法第35条でOKという訳でもないし、加戸説によれば、非営利・無料・無報酬の上映だって会場費の支払いがあれば該当しないというくらい、例外というのは厳密かつ厳格な判断を要求されるものなのです。
 「これは私的利用だから」とか「これは授業で使うから」と考えていると思わぬところで権利侵害となるわけです。しかし同時に忘れてはならないのは「権利者が言っていることがけして正しいわけではない」ということです。特に企業への問い合わせの場合、その担当者自身が著作権についてよくわかっていない場合が往々にしてあるのです。また権利のない権利者"もどき”がクレームを付けてくることだってあるのです。真の権利者が「利用してほしくない」と言った場合だけが、著作物が利用できない場面であって、それ以外は利用できる可能性が十分にあるのです。

 本ブログは教育と著作権についてのブログですので、学校での著作物利用に特化してお話ししようと思います。学校での著作物の利用については著作権の例外規定に当てはまることが多いので、利用する場合の条件をさらに細かく確認する必要があります。ちょうど「学校における著作物利用と権利処理」ということでお話しする機会がありますので、次回はその内容をお伝えすることにします。

(E)

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2006年07月07日

著作物の(二次的)利用〜その5.著作物の借用 (3)書籍・雑誌からの借用

 映像作品は例えば、放送なら「放送番組」という入れ物自体が著作物で、その中に詰まっている構成要素(素材)の一つ一つも著作物です。新聞は「新聞紙面」自体は編集著作物ですが、それを構成する個々の記事や写真も個々の著作物です。では、書籍はどうでしょう。
 書籍も映像作品や新聞のように「入れ物」に出版社の著作権があるのでしょうか。残念ながら放送番組や新聞社ほどはっきりと出版社に著作権がある、とはいえません。著者と出版者の間に著作権譲渡契約等の一定の契約があれば別ですが、原則として出版社は著作権者にはなれません。出版社は単に著作物を『出版物』として複製・頒布する権利を、著作者との契約によって得ているに過ぎないのです。簡単に言えば、出版社が出版する『出版物』とは、作者の書いた原稿を市場に置けるような形に整えているだけで、著作物ではないのです。つまり書籍だけが、外側の入れ物は著作物でないとされ、入れ物に入った中身だけが著作物になるわけです。
 著作権法においても、出版社には「出版権」という権利の記載がありますが、これも著作物を出版物として複製、頒布する権利であるということを述べるに過ぎません。また出版社は放送事業者のような著作隣接権者でもありませんので、その意味では一定の契約を交わさない限り書籍については著作権とはまったく無縁な存在となります。
 もちろん雑誌や全集のような「編集著作物」に該当するもので、編者が出版社の場合は出版社は新聞社同様「編集著作権」が認められます。雑誌のページをそのまま利用するとかですと、出版社の権利ですが、記事や写真のみを使用する場合には、個々の著作者の権利であり、出版社の権利は及びません。 
 注意しなければならないのは、この場合の「編集」というのは出版社の人が使う「編集者」とか「編集」とは異なる意味であることです(著作権法上の「編集」の意味については、先回参照)。出版社における「編集」というのは、作家の原稿をまとめたり、なおしたり、組み替えたり・・・という一連の作業のことをさすのだと思います。実はこの作業は大変重要で、担当者の力量によって作品事態が大きく変化することもあると思います。作品によっては編集担当者と作家の共同著作物になるのではないかという変化すらあるのではないでしょうか。けれど出版社(編集者)は大変忍耐強いというか、そのような権利主張を『作家に対して』行うということはあまりないようです(一部のコミックスを除きます)。また、出来上がった作品の二次的利用についての統括的交渉窓口になることもあまりないようです。いわゆる「出版契約書」には、複製、頒布して出版することについてのみ取り決められており、場合よっては「版型」(文庫とか単行本とか)まで細かく決めてありますから、本当に形を整えて世に送り出すと言うことだけを行っているといえるでしょう。その意味においては、出版社というのは作家を発掘し、育て、著作物を世に送り出す縁の下の力持ちなのでしょう。

 さて、そのような書籍なので、お分かりいただけると思いますが、小説などの「書籍」からの利用について出版社に許諾を求めても仕方ないということになります。出版社は原則的に著者との中継ぎ程度のことしか出来ません。出版協会が提供している出版契約を拝見すると、そのフォーマットに則った契約が標準であれば、出版社にある程度の権限が譲渡されているようですが、実際の契約締結率から察するに、出版社ひとりで回答を提示することは難しそうです。やはり出版社の担当者から著作者に確認してもらうということになりそうです。
 もちろん小説家や脚本家は、それぞれ著作権管理団体がありますので、そこの会員であれば、音楽の著作物同様申請だけで利用は可能です。ただ私の経験から申せば、諸所の事情もあり、音楽の著作物の利用ほど、簡単にことは進みません。
 もっとも、学校における書籍の利用はほとんど著作権法第35条、第36条、第38条でカバーされる利用が多いと、あまり問題にはならないと思われますが、逆に許諾を要するような利用に該当するときは要注意です。
 これまで3回にわたって借用される著作物の構成について説明いたしました。次回はそれらを実際に利用するときの注意点をもう少し掘り下げてみたいと思います。

(E)
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2006年07月03日

著作物の(二次的)利用〜その4.著作物の借用 (2)新聞からの借用

 先回は映像作品(放送番組)の構成と再放送といえども権利処理が必要であることを述べました。他に学校教育でよく利用されると思われる著作物は、新聞でしょうか。
 新聞というのも著作物利用の観点からみると面白い構成をしています。放送番組と似たような構造になっていますが、著作物が見えているという点では少しシンプルかもしれません。新聞紙面は新聞全体の記事の選択や配列を新聞社が編集して構成されますので、編集著作物として新聞社の著作物ですが、紙面を構成する個々の記事になると微妙なはなしになるわけです。
 新聞紙面はいくつかの記事と広告等から構成されています。紙面全体には記事の構成や配列に創作性があると認められるので、紙面の編集著作物にあたり、編集著作権を持つ新聞社が著作権者となります。 
 紙面を構成する個々の記事は、新聞社所属の記者の原稿もありますが、契約したライターの記事やカメラマンの写真をつかっていることがあります。新聞社所属の記者の記事は「法人著作」として新聞社に帰属します。契約したライターやカメラマンの記事は新聞社に著作権が帰属しません。したがって借用にあたっては、その記者なりカメラマンと新聞社の使用契約の条件如何になるので、放送番組のときと同じように使用契約の条件という純粋に契約の問題となります。 
 さらに新聞自体は継続的刊行物です。継続的刊行物とは「冊・合・回を追って公表する著作物」ということで、新聞、雑誌、年報等の継続的に刊行される著作物を指します。ということは、著作権の保護期間の判定基準が普通の著作物と違い、公表される日にちが起算点になります。ということは、新聞自体の著作権は50 年前の新聞から毎年消滅していくわけです。しかし、個々の法人著作でない記事の著作権は、著者の死後50年となります。従って新聞に掲載されている記事や写真の二次利用を考える場合も、個々の記事の著作権者は必ずしも新聞社でないという点に注意が必要ですし、新聞紙面全体の著作権が切れても新聞紙面を構成する記事や写真の著作権も切れているとは限らないということに注意が必要となるわけです。
 
 では、新聞を二次利用したいときはどうするか。授業で利用する場合や著作権制限条項に該当する場合は当然許諾は必要ありませんが、例えば、授業で発表した内容を学校のHPに掲載したいというような場合は、授業以外の利用(目的外利用)になるので、改めて権利処理が必要となります。
 まずは新聞社に紙面の借用を申し込みます。記事や写真が外部のライターやカメラマンの著作物(と新聞社がきちんと認識していれば)であれば、きちんとした新聞社なら許諾先を教えてくれますし、自社記事のみの場合は利用条件(使用料やクレジットなど)を提示されます。
 ちなみに見出しは著作物ではないと解釈されていますので、複数の新聞社の「××逮捕」という見出しだけいくつも重ねて表示するなどの場合は、特段許諾は必要ないと考えます。また記事や写真だけを利用し、紙面全体の利用をしない場合は、編集著作権は働きませんので、単純に記事や写真の使用許諾を得ればよいということになります。
 その新聞社が著作権者である記事や、紙面についてはよく「同一性保持権」を理由に断れることがあります。「同一性保持権」は、非常に主観の強い権利です。同一性保持権は著作者「その意に反して」改変を受けないという権利であり、その判断尺度は著作者にある程度委ねられているわけです。従って著作者の主観的な要因が入り込む余地があるものですから、「いやだ」といわれれば「それはおかしい」という理屈をいくら並べても仕方ないということになります。但し「やむを得ない改変」である場合は、この権利は制限されます。もっともポピュラーな例は、学校教育において漢字等の用字制限のために、漢字を仮名にしたり、平易な語彙に改めるというものです。このような改変ですら「同一性保持権侵害にあたる」といっている新聞社があればそれは行き過ぎた権利主張であるといえるでしょう。

 新聞はどの授業においてもよく利用されますし、利用すべきであると思います。良質な文章、報告のあり方を学ぶことはすべての活動の根本であると思うのです。その教材としてそれが最適であるかはともかく、様々な著作物にふれるということは生徒には大切であると思います。そのために多少手を加えることについて寛容になっていただければと思います。

 放送、新聞と記載しましたので、次回は書籍について書いてみようと思います。 

(E)
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2006年06月26日

著作物の(二次的)利用〜その3.著作物の借用 (1)

 自分で何か作品を作るときに全く自分のオリジナルだけで構成することは難しいと思います。(それが著作権フリーと書いてあったとしても)他人の作曲した楽曲をBGMに利用したり、本から写真を利用したりすることがあると思います。複雑になるので、ここでは「引用」として認められる使用法は除きます。単純に自分たちの作品に「著作物」を借用するときです。
 例えば、映像作品を作ったとき、その映像作品全体は自分たちの著作物です。自分たちで撮影した映像はもちろん、BGMに利用したCDからとった音楽も、▼▼新聞社から借りた写真も、★★放送局から借りた映像もすべて映像作品の構成要素となり、「映像作品○○」という著作物として、制作した人に著作権があることになります(やはり複雑になるので、映像の著作権に特有な点もここでは割愛します)。制作した人は自分の著作物ですから、複製も頒布も公衆送信も自由にできますし、他人の使用の諾否も決定できます。
 但し、作品全体の著作者は制作した人であっても、作品の制作過程で人から借りたものがあります。これらは借りたからといって制作者のものになったわけではありません。お金を払ってレンタカーを借りたけど、そのお金は車を永遠に所有するための対価の一部ではないのと同じです。その目的、その条件で「利用」するために対価を払ったに過ぎません。借用著作物も同じです。写真を借りるときも映像を借りるときも必ず使用目的を明らかにし、その目的、その条件にしたがって利用できるだけです。それを超えて利用するときは、改めて交渉するわけです。
 したがって、先ほど「自由にできる」といいましたが、自由にできるのはあくまで徹頭徹尾自分の著作物な物だけ、一定の条件と目的を示して「借りた」物については、それ以外の利用方法(目的外使用)については、再度許諾が要るということになるわけです。

 意外かもしれませんが、放送番組の再放送も、この目的外利用等にあたる場合があって、再度権利処理が必要となる場合があります。もちろん番組制作の契約(出演とか借用とか)時において、「★★テレビ局、同ネットワーク局及び同時再送信する有線放送における放送、放送各話2回、但し24時間以内の再放送は放送波に関わらず1回と看做す」といった条件にしているはずなので、たいていは数度の再放送が可能です。しかし思いのほか反響がよく、再放送の要望が強く、先の契約の放送回数を超えて再放送することになったときは、改めて許諾を取る(これが権利処理です)必要があります。特に、古い番組(アーカイブスと呼ばれるようなもので、未だ著作権が存続しているようなもの及び所有権を主張されるような作品が含まれている様な場合)は番組の構成から紐解いていかなければなりません。この写真は借用か?ここで朗読されている手記は誰のものか?インタビューされてるこの人の肖像権はどうすればいいの??(これが一番難しいのです)などなど・・・。音楽のキューシートや構成台本、「権利台帳」などが残っていれば比較的簡単に処理が出来ます。しかし古い番組であればあるほど、そのような資料は残っておらず、当時の関係者を探し出し聞き出し・・・という地味な作業を繰り広げなければなりません。
 視聴者は放送していることから単純に、TV局ひとりが権利者だと思いがちなので、なんでそんな出し渋りをするんだーという感想を持つのですが、放送局は自社で最初に放送すると決めた回数分しか権利処理していないので、予想に反してブレイクすれば自社で再び放送するのにも再処理しなくちゃいけないわけです。それでもすべての権利を買い取るよりははるかに安いのですけれど。。。
 
 著作物(特に映像の著作物、特に放送番組)の場合は、たくさんの「素材」が集まってひとつの著作物を構成していますから、利用者としては個々の「素材」について個々の権利者(著作権者)の権利について注意することが大切です。特に、教育目的で利用するなど著作権の制限範囲での利用をするときには、ついつい忘れがちですが、利用者としては著作物の構成についてしっかり理解し、その上で、「やっぱり使いにくいので改善した方がいい」という意見を持ってほしいと思います。
 長くなりましたので、次回も「著作物の借用」について具体事例を交えてお話したいと思います。

(E)
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2006年06月20日

著作物の(二次的)利用〜その2.原著作物と二次的著作物

 著作物の利用と権利処理の前にまず、簡単に「二次的著作物」について簡単に説明してみます。
 著作物Aを使って、創作された別の著作物Bを「著作物(A)の二次的著作物」と言います。逐条講義によれば「既存の著作物を使わないで独自に新しく作り出した著作物・・を原著作物と呼べば、原著作物をベースに出来上がったもの・・が二次的著作物」と説明されています。
 二次的著作物は、大別すると原著作物の翻訳・編曲・変形・翻案の4種類の方法で生み出されます。翻訳は、言語Aから言語Bに訳すこと、編曲は曲をアレンジすること、変形は表現形式を変えること、そして翻案は、具体的には映画化、コミックスやゲームなどにすること、「小説を児童向けの読み物にリライトする行為」や「長い文章を短くダイジェストする行為」等、「内面形式は保ちながら外面形式を大幅に変更する」様なものがあげられます。
 例えば、英語原作「Harry Potter」を「ハリー・ポッター」として英語から日本語に翻訳することは、「Harry Potter」の二次的利用ですし、さらに映画にすることも「Harry Potter」を翻案した二次的利用(による映画化)ということになります。(著作権法では第2条第1項第11号に「二次的著作物」についての定義があります。)つまり、
 英語原作(=原著作物)⇒(翻訳)⇒日本語訳書(二次的著作物)
 英語原作(=原著作物)⇒(翻案)⇒映画(二次的著作物)
ということです。これがコミックスとかゲームとかになってもそれぞれ「二次的著作物」です。もしもコミックスが日本語訳書からの翻案であった場合は、コミックスは日本語訳書の二次的著作物(原作から見れば、三次的著作物)で、日本語訳書は英語原作の二次的著作物とどんどんつながっていきます。しかし英語原作はどこまで行っても原著作物なのです。そして元になった原著作物の権利は、二次的著作物が利用されるたびに同じように働くのです。(著作権法第27,28 条)
 つまり、『著作物』を利用しようと思ったら、その背後にも「著作物」が潜んでいないか確認し、利用にあたってはそれらの権利処理もしないといけないのです。映画を利用したいと思ったら原則としては、原作、脚本も権利処理対象となるわけです。

 原作がなく、書き下ろし脚本のドラマや映画というのも多いものです。後からノベライゼーションされるということもよくあります。これがかなり曲者です。出版物があるとそれが原作だと思ってしまう、特に活字の場合はその傾向が強いようです。あるとき、ビデオ化の担当者が原作の権利処理をしていないと青い顔できたことがあります。商品の発売日の1週間前くらいだったと思います。さすがに原作者にまったく知らせずに商品の販売は出来ません。(契約上の条件は後追いでも何とかなります)とにかく詳細を聞いてみると、「本屋にこれが平積みになっていた。このドラマは原作がないと聞いていたがちゃんと本があるじゃないか」ということなのです。ええ、ドラマが好評だったのでノベライズしたものです。脚本(≒原作)⇒(翻案)テレビドラマ化⇒(翻案)小説(ノベライゼーション=ドラマの二次的著作物)なんですが、出版物=原作本と思ったようです。この手の勘違いは非常に多いものです。原著作物が脚本やコミックスならまだいいのですが、最近はゲームが原著作物になる場合も多くなっています。ゲーム等は二次展開の産物と思ってしまうのですが、ま逆な開発がされることがあるというのは注意が必要です。
 この手の(善意の)勘違いは、権利のないところに権利を生み出してしまう可能性が高いので、権利処理方としては要チェックなのです。
 
 さて、商業目的の場合は全て権利処理の対象ですが、教育目的での利用においては、授業で利用(35条の範囲内)する著作物を翻訳、編曲、変形、翻案して利用することが認められています。例えば、外国語の散文を先生が訳して教材にする、歌謡曲をみんなで歌えるように合唱用にアレンジした楽譜を配る、難しい記事を生徒向けに書き直す等というのが、学校において多い使われ方ではないかと思います。これらの行為は許諾を必要としません。ただし「授業利用」からはずれると許諾がいることになります。「とても上手に出来たので、 ○○にしよう(HPに載せよう、合唱の様子をDVDにして配ろう等)」というときです。アレンジとかリライトしたという自分の行為(二次的著作物の創作行為)について、「自分で作ったんだからいいでしょ」的な気持ちになるようですが、元にした著作物(原作・原曲)があるということを忘れがちです。しかし、翻訳しても翻案しても元になった著作物がある限り、その著作物(原著作物)の権利はずっとついて回るのです。
 この点をきちんと理解していないと、映像作品とBGM、出版物と掲載写真の関係等「著作物の借用」のとき の、借用著作物の権利と全体の著作物の権利の関係が混乱してしまいます。
 逆に元になった著作物がなければ、当然、「背後の著作物」の権利は考える必要がありません。問題が起こるのは著作物Cに「インスパイア」されてある作品Dを生み出したときや、表現形式が似ている(と主張された)場合です。このあたりは商業利用の場合はものすごく注意を要するところですが、教育現場だとあまり関係ないともいえるでしょう。
 この「著作物の陰に隠れた別の著作物がある」という可能性について十分注意が必要であるということは、次回の「著作物の借用」というときの権利処理の時にご説明したいと思います。
(E)
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2006年06月08日

著作物の(二次的)利用〜その1.「あなたの常識は、あの人の常識ではない。」

 私の本業は「権利処理」です。現在は法務的な作業しかしていませんが、以前は主に映像の二次利用についての権利処理というかなり実務的でコアな権利処理を行っておりました。例えば、「映画Aの1シーンを5秒、放送番組Bに使用する」という場合や、「歌謡番組をDVDにして販売する」といったときに発生する類の権利処理です。また、その逆の「放送番組Cの1シーンを5秒間、D放送局の番組に使用許諾する」という放送局や新聞社等への映像素材の販売も扱っていました。
 劇場公開の映画や、テレビアニメの場合には、上映・放送の次の展開まで見越して幅広い権利の利用について契約することが多いです。劇場公開に併せて、ノベライズを出したり、ガイドブックを作ったり、パンフレットも販売すれば、グッズも販売する。公開後はDVDを発売し、時間を置いてレンタルを展開し、やがてテレビ放送される…展開に前後はあるでしょうけれどおおよそこんな感じで、1本の映画が利用されていきます。アニメの場合はさらに、キャラクターグッズという強力な展開があります。文具・玩具・衣類…。先日行われた東京アニメフェアでは「ガンダム」のゴルフバックが参考品として展示されていました。なるほど〜今や大きいお友達は接待でゴルフとか行くお年なのかと妙に納得しつつ、結構ほしいかもと思いました。
 これ以外の『映画の著作物』つまり放送番組、ゲーム等ですが、の二次展開というのは結構大変です。特に放送番組の場合は、放送に関する権利についてのみ契約を交わすことの方が圧倒的に多いのです。
 よく「どうせDVDやグッズの展開するんだったら最初からそういう権利についても契約しておけばいいじゃない」といわれます。確かに明らかに人気があって、DVDもキャラクターグッズも売れると確信があればいいのですが、大体は「放送する」と言うことが主目的ですから、それ以外の未知数の展開についてコストをかけたくない、ヒットすれば改めて交渉しようとなるわけです。テレビ番組の場合はスポンサーがあり、視聴率は気にするけれど制作費の回収自体は放送局や制作会社はあまり気にする必要がありません。劇場公開映画の場合は制作費の桁が違いますし、かつては大手映画製作者1社で制作し、興行していましたが、現在は大体複数人の出資者(よく「製作委員会」といわれます)がいるので、それぞれが自社の出資分の回収に積極的になるのです。
 今は二次展開をにらんで放送契約のときにDVD販売等についても契約するのかもしれませんが、テレビ番組のDVD(当時はVHSとか)が売れるなんて考えの無い頃でしたから、人気が出た番組やかつて反響の大きかった番組などについては放送終了後や、過去にさかのぼって番組の権利関係を突き止めて再権利処理してビデオを出す、ということになります。そういう権利処理が私の主な仕事でした。
 
 私が権利処理を初めて間もない頃に、「あなたの常識はその人の常識とは限らないと思って交渉することが大切だよ」と言われました。常識(コモンセンス)が一緒ではないとはなんと困ったことかと思いましたが、確かに私たちは交渉の過程や許諾状況について必ず書面を作成しますし、これは私たちの常識です。でも多分これは特殊な「常識」なのでしょう。同様にその是非はともかく「ちょっとインパクトのある映像表現にしよう」というのは制作者サイドの共通認識なのかもしれません。ある女優さんのプロフィールを紹介するシーンで「女王蜂」の映像をバックに使いたいと言われたときに、あまり上品な感じがしないなと思ったことがありますが、映像構成的には十二分にイメージを想起するという点では、制作現場のいう方がもっともなのかもしれません。
 立場が変われば、見解も理解も力点も違う。それでも「これ」=著作物を使いたいのはなぜか、どうすると公平に提供できるのか、お互いがハッピーになるポイントはどこか…これはいつも忘れずにいたいと思っています。

 さて、そんな権利処理をしていますと、当然教育関係の方からもお問い合わせをいただきます。放送番組の借用を依頼した方の多くが、借用できなかった体験をお持ちなのではないかと思います。
これからの数回は「権利処理」ということから、「著作物の利用」について私の経験をいくつかご紹介しつつ、なぜ「権利者はあんなことを言うのか」ということを考えていきたいと思います。

(E)
posted by 著作権教育フォーラム at 14:36| Comment(1) | TrackBack(0) | コラム

2006年06月02日

「悪」なのは「権利者団体」なのか

 これまで数回にわたって「権利者団体は悪なのか」という視点から権利者団体と利用者、そして利用者の中でも教育関係者という特化して視点から俯瞰してみました。要約すれば、
 ・ 多くの人は「権利者団体」というものの具体的イメージを持ち合わせない。
 ・ 「権利者団体」は自らを理解してもらおうという姿勢が欠如している。
 ・ 「権利者団体」は利用者の立場に立ったサービスを行っていない。
 ・ 利用者は「権利者団体」を敵視している。
 ・ 利用者は「権利者団体」にまっとうな抗議、意見具申を行わない。
 ・ 教育関係者と権利者団体は相互に誤認・誤解がある。
ということが大きな原因となり、結果として団体=悪的イメージが、どの切り口から見ても浸透しているようです。
 さらに(言葉が悪くて失礼ですが-)権利者面して市井の利用者(エンドユーザ)に対して、「権利行使」するという事例がだんだん多くなっているように思います。しかも、あたかも「権利者代理」のような振る舞いをする「輩」のなんと多いことか・・・。もちろんビジネスであれば許せます、お互いプロですし、例えば「営業部の作成したカタログに書の掛け軸が映っていた」時、「複製権侵害」かどうかも含めてコンプライアンスを法務部が指導する(してください)など、商売であれば当然にリスクヘッジします。しかし、市井では「わかりやすく、具体例にのっとり、正確に」著作物の利用及び著作権ついて教えてくれるところはほとんどありません。利用者が最初に思いつき、かつ最も「確実に回答」してくれるのは権利者団体くらいでしょう、但し回答はけして「正確」とはいえませんけれど・・・。(著作権法第38条第1項の解釈についてそれぞれ該当すると思われる権利者に問い合わせてみるとよくわかるでしょう。)
 『「著作権は著作(権)者の排他的独占的権利」なのだから、権利者が絶対である』という主張は当然起こるでしょう。しかしどんな法律にもそれぞれ目的があり、守らんとするものがあります。著作権法における目的とは、第1条記載の通り「もって文化の発展に寄与する」ことです。そのために著作者等の権利の保護を図るわけです。「著作権者を保護すると文化が発展する」ということではないのです。ですが、現状の「著作権」の扱いを見ると、どうも「何より大切な個人の財産権」という位置づけになっているように思います。このような意識が浸透してしまったのは、ひとつには教育手段が未熟であるということが挙げられるでしょう。そして、市井の理解の進まぬうちに、それまでも「権利」で商売していたところが「権利主張」というものを関係者以外に対して始め、さらに「権利者」の立場から教育を始めた…。だからこそ、著作権=財産権という部分のみがクローズアップされ、法本来の目的がかすんでしまっている・・・。

 「権利者団体は『悪』の団体か」と題してこれまでいろいろと述べてきましたが、総括するに、権利者団体が「悪」なのではなく、誰もきちんと教育しなかったということが最大の「悪」なのではないでしょうか。もちろん権利者団体は「悪」の要素もたくさん持っていますし、何故かその側面をアッピールしている言動も多々あります。突然身近になってしまった『著作権』とやらについて、誰もよく知らないうちからとりあえず広めなくちゃと啓蒙を始めたことについては間違いなく賞賛すべき行為です。しかし、理解しやすいからと「権利侵害」という部分から説明を始め、権利者的視点から財産的な部分を中心に教材を作成していったこと、これらが原因となり、現状の問題点を生み出してしまった事は否めません。その意味では、『教育』を統括する文部科学省や『著作権』を所管する文化庁が、その教育の最初を権利者団体に任せたという点においてかなりの責任があると思います。
 幸いなことにまっとうな見解を表明する人たちもふえています。今後はそういった人たちをどうやって増やしていくか、どうやって中立な啓蒙を進めていくか、ということを考える必要があるでしょう。その意味においても教育は非常に重要なのです。学校教育において著作権(知的財産)教育を推奨すること、そのために教師が学べる機会を設けることは大変重大な意味を持つのです。 そして、利用者の立場にも権利者の立場にも立って考えることが出来る、その上で著作権法とは何か、著作物とは何かということを考えることが出来る教育、それはけして貨幣経済の上になるものではないということに気づけるカリキュラムを考えてほしいと思うのです。そんな教育が進めば、少なくとも一元的に○○は「悪」等という感想は抱かなくなると思うのです。けして難しいことではなく、ただ著作権法第1条の意味を考えればいいのです、「…もって文化の発展に寄与することを目的とする」の意味するところを。

(E)
posted by 著作権教育フォーラム at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム