2006年10月07日

ネット配信への期待 その3

 前回、音楽関係の権利者が利用者にある種の「大英断」にとって「歩み寄り」をしたという評価を致しました。しかしこれを、全く好意的に解釈するというのは楽天的すぎるかも知れません。うがった見方をすれば、ネット配信による違法コピーの蔓延やCDの売り上げ減少という不安や警戒心は、一頃ほど激しくはなく、むしろ、一定以上の売り上げに貢献していることが明らかになってきた、ということは、ネット配信は非常に大きな市場として確立されつつある以上、諾否よりも報酬請求した方がよいという考えに基づいているとも考えられるのです。そしてこの場合、利用者と権利者の利害は一致するのです。利用者が利用すればするほど、対価が増加するのですから。
 さらに言えば、このような権利処理体制を確立することで、予想される次の法改正を予防する意味もあるのではと思えます。現状の流れにおいては、放送と通信の融合について検討が進んでおり、権利処理の簡便化のために「放送と同様の」規定とするという方向が多数ではないかと思います。その流れの中であえて、一元処理を開始するというのは放送と同様な権利制限になるのを阻止しようという目論見があるようにも思えます。つまり、現状であれば通信は許諾権を持つ実演家が、放送と同様に報酬請求権になってしまう(諾否については意見を言うことができない)ことを、自ら防ごうとしていると考えられるわけです。
 利用者(放送局)としても、少なくとも放送番組のネット配信については先述のとおり両者の利害は一致しているので、詳細はともかく全体的には合意しうるものだったといえましょう。
 さて、では翻って教育現場ではどうか。学校における著作物利用について「一元的処理を行う」あるいは「権利者団体が権利処理の窓口になる」、という構想は著作物利用の際に、権利処理が必要となったときには理想の形です。
まず、教育現場は目に見える対価はほとんど0であることは、当然に予想されます。その点からのみ考えれば、教育現場に対する配慮はありえないという絶望的な結論になります。次に権利者と利用者(教育現場)は共同歩調を取れるか、ということですが、こちらも協力し合うだけのメリットがすぐには見当たらない・・。
 しかし、直近の対価は0であったとしても、児童、生徒が社会に出たときのリターンは計り知れないものがあるでしょう。経済的側面からのみ著作権を捉えるのは好ましいことではないと思いますが、通常の企業理念から言えば、コストパフォーマンスは重要ですので致し方ないことです。しかし、教育とはそれだけではないということにも、社会は気が付く必要がありますし、企業は率先して啓蒙していかなければならないと思います。なぜなら次にその「企業」を支えるのは、今「生徒」である子供たちだからです。この様な視点においては、教育というのは企業にとっての「先行投資」あるいは「R&D」という位置づけをされても良いのではないでしょうか。もっとも、そのような理屈付けなどせずに教育の重要性を認識することが当然であるとは思うのですが…。
 一方教育現場においても、このような動きに対応すべきであり、教育は企業理念とは独立させて存在意義があることをもっとアピールすべきです。著作権法と学校教育は両者ともに文科省の管轄なのですから、文科省内部で連携するべきではとも思いますが、まずは、教育現場として何が必要なのか、ということを教育の重要性から主張していくべきではないでしょうか。
 著作物の利用に当たっての著作権の制限規定が狭められることを防ぐことも、利用者として必要であればきちんと対応していく必要があるでしょう。
 権利処理体制の確立や法改正の流れの中で教育現場も敏感に反応すること、そして気がつけば著作権の制限規定(例えば35条や38条など)が狭められていることのないように、自ら考え、取り組む体制が重要であると思います。
 ネット配信の拡大に期待する一方でこんな事を考えてしまいました。

(E)
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2006年10月06日

ネット配信への期待 その2

 前回「音楽著作物」と「音楽を利用する」ということについて、簡単に申しました。今回はちょっと特殊な「放送局と音楽」について、ご説明します。
 放送というのは著作権法ではちょっと特殊な扱いを受けます。まず、著作権法に規定される放送というのは、放送は送信形態の一つで、「公衆」にむけて、同一内容を同時受信するという目的をもってなされる送信を指します。そして無線の場合です。ケーブルテレビなどは無線ではなくて、有線ですので「有線放送」となります。「公衆」に「同一内容」を「同時受信」するという送信が「放送」です。この「放送」を生業としているのが「放送事業者」、いわゆる放送局です。
 放送局はニュースのオープニングや、番組BGM等様々、非常に沢山の楽曲を使用します。その場合音源は大体CDということになります。もちろんスタジオで演奏し、録音する場合もありますが、ほとんどは市販CDです。使用の度に著作者、著作隣接権者に交渉し、許諾を得るという作業をしていては大変です。申請書を出すだけでも大変です。
そこで権利者団体が管理する楽曲については、権利者団体(JASRACですが)が昨年度の音楽著作物の使用実績を下に、次の年の音楽著作物利用量を想定し1年分の使用契約(ブランケット契約とわれます)を、放送事業者と締結します。権利者団体の応諾義務のもうちょっと大きいバージョンといえます。
 では実演家が演奏し、レコード製作者が固定した「CD」についてはどうでしょうか。放送以外、例えばDVDを作成する場合は音源使用についてレコード製作者の許諾が必要です。放送はといえば、実演家の許諾を得て録音物に収録されていた番組を放送する場合には、実演家の放送権は働かないとされていますし、市販されているCD(著作権法では商業用レコードといいます)を使用して放送する場合には、許諾ではなくて、使用についての支払義務が課されるだけになります。
 つまり、著作者の権利処理も著作隣接権者の権利処理も、使用料を払うだけでよいということになります(もちろん使用報告は必要です)。
 以上のことから、放送というのは著作権法上かなり優遇された地位にいるということがお分かりになると思います。
 ところが、これが一旦放送から、ネット配信になるとどうなるか。ネット配信は、同一内容を同時受信するだけでなく、異時受信も可能です。つまり、ネット配信は著作権法規定する「放送」ではなくなるわけです。放送でないのですから、先ほどの放送の権利処理特典は通用しません。つまり、普通の利用者と同じように、レコード会社と交渉して…となるわけです。それを放送と同じタイミング、あるいはこれ迄のものも含めて用意する…それは時間的物理的に不可能に近い作業です。なぜなら、今まで「放送」ということで、あらゆるCDを、それこそリリース直後の新曲から、アイドルの曲から使い放題使い、しかも1番組あたりの使用楽曲数も相当数に及ぶ…という番組を、一つ一つ元のCDを特定し、レコード会社と交渉し、実演家と・・・。放送番組のDVD化のとき泣く泣く楽曲の差し替えをするDVD制作担当者の気持ちを追体験することになるのです。
 この点が放送が優遇されているがゆえに、「放送」から離れて瞬間に巨大な壁としてそびえ立つ「著作権の問題」として議論されている点でした。これが今回、放送と同じ待遇をしてもよいという、いわば大英断をしたのです。実際に稼動すれば使用料配分など課題は山積だと予想されます。しかし権利者が利用者(放送局は、ある意味最大の著作物利用者です)の事情に近づいたという点においては評価できるのではないかと思います。
 同様な利用者への歩み寄りというものを、教育現場にも応用できないものでしょうか。教育というのも著作権法上かなり特殊というか、質は違えど優遇されています。著作権法の例外規定に該当するという点において、似たような環境にあるのかもしれません。
 もしもこのような一元処理の仕組みが学校教育にも応用されたら、もっと学校での著作物利用が増えるのではないかとも期待します。
 次回はこの「歩み寄り」から学校教育現場での著作物利用について、教育現場はどのように考えるべきかと述べたいと思います。

(E)

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2006年09月25日

ネット配信への期待 その1

 通信と放送の融合について色々と議論されている中、どうしてもネックは権利処理だということになっているようです。そのため様々な団体等が音頭を取って何とか権利処理をスムーズに出来ないかと活動しています。そんな中、久しぶりに面白い記事を見つけましたの、今回から3回程かけて、このお話を取り上げようかと思います。

2006年9月11~12日付の記事で、
「テレビやラジオ番組のインターネット配信を促進するため、日本レコード協会(RIAJ)と実演家著作隣接権センター(CPRA)は、10月8日からレコード製作者や実演者の権利を一任管理する。」という発表がありました。この2者がネット配信における著作隣接権の一元的処理を担う、というもので、既にJASRAC がネットでの楽曲使用について一定の利用規定を運用していますので、これで、ネットにおける楽曲使用については一応すべての権利処理が可能になった、と考えることが出来るでしょう。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/it/internet/18783

 「なんでレコード会社が?」「なんで実演家が?」と思われる方も多いと思います。
 先ずは、「音楽の著作物」の構成と、「音楽を利用」する際に関係する権利について整理したいと思います。
 音楽の著作物は、他人に利用されることが最も多く、それゆえ権利処理についても一番ノウハウが蓄積されている、いわば著作物利用の鏡みたいなところがあるのですが、逆に業界的に整理されているので、普通に権利処理をしようとなるとちょっと混乱することがあるかもしれません。そこで今回は「音楽著作物」について少しご説明をしておきます。
 音楽は、楽曲(メロディ)と歌詞から構成されます。歌詞がないものもありますが、大体この二つが音楽の柱になります(シンプルにご説明するために、「編曲」については触れません)。楽曲を作曲する作曲家は、「楽曲」という著作物を創作した「著作者」です。作詞家も同様に「歌詞」を創作したので「著作者」です。
この二人が「音楽の著作物の著作者」になり、著作権を持つことになります。
 しかし作詞・作曲されても、「演奏」されなければ誰の耳にも届きません。そんな「音楽」があること自体、知られることがないかもしれません。そこで、音楽を演奏する「実演家」という人の存在がクローズアップされます。「実演家」というと硬い感じがしますが、俳優や歌手や演奏者やバンドマンやとにかくそういう「音楽を世に伝える人たち」の総称です。
しかしその実演歌の演奏等は、生演奏ではそこに集まって人にしか伝えることが出来ません。しかしその演奏を放送したり、CDに録音して発売すればもっと多くの人がその音楽に触れることが出来ます。ということで、著作権法においては、著作物を世に広めることを担っている放送事業者とレコード会社と「実演家」の3者を、「著作隣接権者」といい、著作隣接権者の持つ権利を「著作隣接権」と定めます。著作物の傍らにいるもの という感じでしょうか。従って著作物(著作者)あっての著作隣接権者なので、権利は著作家よりちょっと弱い権利です。
 さて、では実際に「音楽をBGMに使う」を具体的に考えてみましょう。楽曲を自分で演奏しますか?CDから利用しますか?多くの場合、「CDから利用する」ということを選択するのではないでしょうか。となると、CDを制作したレコード会社の権利=著作隣接権が働くということになります。このように 「音楽の利用」には作詞者・作曲者だけでなく、必ずといっていいほど「隣接権者」が付帯しているということがお分かりいただけたのではないでしょうか。
 この著作隣接権者の権利処理を忘れるという方は現実にたくさんいらっしゃいます。というか気が付いていない。みんな音楽はJASRACが何でもやってくれると思っているところがあるようです。もちろん企業で楽曲使用が生業のものは分かっていると思いますが、それでも「放送局」は著作権法で楽曲使用について特殊な事情を持っているので、もしかすると放送だけやっている人にも隣接権は分かりづらいかもしれません(ライツや法務の人は別です。彼らはプロですので)。その放送局の人が今度はネットで配信するわけですから、いきなり権利処理をやれといわれても、また放送番組に使用される音楽は膨大ですから、一件一件処理するのは難しい。その意味で今回の一元処理というのは大いに期待できるのではないかと思います。
 ちなみに、日本レコード協会というのは、CDが番組のBGMに使用された際の二次使用料、貸レコード報酬等の徴収・分配を行っている指定団体で、傘下には多くのレコード会社があります。http://www.riaj.or.jp/
 もう片方の実演家著作隣接権センター(CPRA:クプラとよみます)は、俳優等の実演家の権利処理を行っており、RIAJ同様CDの二次使用料、放送番組等の二次利用に伴う使用料などの、徴収、分配もしています。日本芸能実演家団体協議会、日本音楽事業者協会などが構成団体となっています。http://www.cpra.jp/

 以上、簡単に音楽にまつわる著作権と、今回の権利処理に関わる2社についてご説明したところで、次回は、放送番組と音楽使用についてご説明し、次に放送番組がネットで配信される場合に、なぜ今回の方法が有意義であるかについてお話したいと思います。

(E)

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2006年09月24日

著作物の(二次的)利用 その12〜学校における著作物利用と権利処理(6・完)

 権利者と許諾先が見つかれば後は交渉と申請だけですから、権利処理としてはほぼ終了です。といってもここで交渉が決裂すれば権利処理は失敗になりますので、最後のつめということになります。

 先にも述べましたが、JASRACのような著作権等管理事業者に管理委託されている場合は、応諾義務がありますから、規程の申請書を送るだけです。注意が必要なのは順番です。
 まず、すべての著作物利用に当たり、利用の前に交渉し許諾を得なければなりません。映像作品等の編集が全て終了してから、使用した著作物について申請するのではないことに注意してください。
 それ以外の順番では、楽曲を使うときに注意が必要です。
 著作権等管理事業者には応諾義務がありますが、それはあくまで、音楽の場合であれば作詞と作曲の権利だけです。楽曲をCDから録音して利用した場合は、CDの権利(CDを原盤として使用した)ということで、レコード会社の許諾が先に必要になります。この点はJASRACのホームページにも注意書きとして記載されていますから、一度確認してみて下さい。
 では、交渉はどのようにすすめていくのかといいますと、権利を持っている人と話をするということだけです。権利者が個人であれば、直接交渉ですし、会社であれば担当部署(たいがい法務部)となります。交渉の際重要なのは、相手の必要とする情報を整えておくということです。必要な情報とは以下のようなもので、これは音楽に限らず、どのような著作物を利用する場合にも相手方にとって必要となる基本事項です。

●<著作物についての基本情報>
・使用したい著作物のタイトル  (楽曲名、番組名 等)
・著作物についての詳細
(楽曲の収録されているアルバム名、トラック番号、アルバムのレコード番号(カタログ番号)、番組の放送日、放送時間、放送局 等)
●<使用についての基本情報>
・学校名、氏名…
・使用目的…
(例)学校のHP に載せる…(バナー広告の有無、リンク先等も伝えると良い)
映像作品の一部に使う…有償/無償、複製枚数、頒布方法(どこにどのような形で配るか)
放送コンテストに出品する…これは放送コンテストの規程フォーマットがあると思いますのでそちらも参考にしてください。
・使用する方法、場面等・・・どのようなシーンでどういう風(意図)で使うかを簡単に説明する。
(例)諸岡諸島の紹介に使う
・使用秒数…まだ確定してない場合は、おおよその見当の秒数でも結構です。

 これらを総合勘案して諾否が決定されます。特に交渉先にとって重要でありながら、依頼者が見落としがちなのが、使用方法、場面等についての詳細です。どのように使用されるのかというのは権利者にとってはとても気になるところですので、この点についてはわかりやすく説明できるようにしておくことが肝心です。
 また、権利者から送られてくる申請書に記載する情報もほぼこれと同じです。規程の申請書がない場合には、これらの情報を順に記載すれば、申請書を作成することが出来ます。
 後は許諾され、使用料等条件が見合えば支払いをして使用するということになります。

 以上が著作物の利用を希望してから、実際に利用できるまでの流れです。長きにわたって記載してきましたが、ようやくすれば「交渉する」ということにつきます。学校教育においての著作物利用は「例外」なので、交渉をせずとも使用できますが、学校が例外だと言うことを覚えておいていただければ、普通誰しも行うことであるとご理解いただけるのではないかと思います。
 権利処理はけして難しいものではないので、是非挑戦していただき、学校に於いても著作物利用を積極的に進めていただきたいと思います。
 
(E)
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2006年09月15日

著作物の(二次的)利用 その11〜学校における著作物利用と権利処理(5)

 前回は音楽や文芸の著作物の権利者のように団体所属の方の場合の権利処理についてお話してみました。では団体に所属していない権利者とどうやってコンタクトを取るのか。
 これはもう、あらゆる情報からその人の手がかりを探して、本人に行き着くしかありません。・・・もう、探偵みたいなものです。
大体権利処理というのは、この人探し、つまり許諾先ですが、を探すことに終始します。これが権利処理の8割みたいなものです。
正直なことを言えば、私たちのような権利処理が実務の人間でも権利関係がつかめないことがよくあります。古い番組やニュース映像を利用するとき等は本当に大変です。特に著作権ではないz肖像権、つまり人の顔が映っている場合はどうすべきかかなりもめます。
 著作権法では、一定の公告等をはかり、相当の努力を払ってなおその権利者を見つけられない場合は、文化庁に供託を求めることが出来ます。但しこれも供託金を払うので、そうまでしてなおという場合以外はあまり利用しません。確か国会図書館が児童書の分館を造ったときに絵本の作家や挿絵を描いた人の捜索にこの方法を活用したような覚えがあります。
 今まではこの供託制度は規定はあるけどなかなか使われていませんでした。というのも、「一定の公告」「相当の努力」というのがどの程度かというのが分からないので、万が一にもクレーム(?)がついたりした場合のリスクを考えると、なかなか私企業ではそこまで踏み込むことが出来ないというのが理由ではないかと思います。私どもでも何度か権利者が分からず「供託制度利用しましょうか」という議論はするのですが、最終的にそれを使ったことはまだありません。但し、数年前から(社)著作権情報センター(CRIC)が、著作者不明の著作物の使用について、著作者を探していることを告知するページを自社のHP内に立ち上げています。
といってもこれは最終手段ですので、普通はいろいろな方法で権利者を探します。
 権利を持っている人を探すポイントですが、次のような部分をまず参考にします。

○(C)マーク : (C)2006 TARO.Ltd. All rights reserved
このマークは、マルシーマークといって、©=コピーライト(著作権)を持っている人をあらわします。
2006は、この作品が公表されたのが2006年であること、TARO.Ltd はTARO という会社が権利を持っていることをあらわしています。

○(P)マーク : (P)2006 TARO.Ltd
こちらはCD のジャケットなどにかかれており、マルピーマークといいます。
最初の発行年とマスター音源を持っている会社をあらわしています。

○エンドクレジット
放送番組から映像を使う場合などは、番組の最後の「エンドクレジット」が役立ちます。たとえば…
「制作」「制作・著作」=この作品を制作した会社=権利者。
「資料提供」「協力」 =素材を貸したところ=権利者。
例:「CG提供:太郎社」=番組で使っているCGは太郎社が作成=権利者。

○インターネットで検索してみる
最近は情報が発達しているので、何らかの情報にはヒットするようです。但しそれが必ずしも正しい情報であるかということは、確かめる必要があります。

 こういう風に申し上げると、ずいぶん当たり前のように思われるでしょうが、なかなか思いつかないものなのです。こういう地道な作業がしかし確実に次のステップにつながるのです。

 さて、これでようやく権利者/許諾先が見つかりました。後は申請するだけです。次回はこのシリーズの最終回として申請の仕方についてお話したいと思います。

(E)
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2006年08月16日

著作物の(二次的)利用 その10〜学校における著作物利用と権利処理(4)

<実際の権利処理と具体例>
 具体的な事例から権利処理というものを見てみましょう。
例えば、修学旅行の歌詞集を作成して学年の人数分複製して配るとしたらどうでしょう。

 修学旅行自体は学校カリキュラムに組み込まれていることであれば、第35条の「授業の過程」の範囲となろうかとおもいます。ところが、JASRACのホームページでは、許諾を取らなければならないとあります。そこで、許諾を得ないといけないという前提で、手続きをご紹介しましょう。
 楽譜や歌詞の掲載はJASRACの規程では「出版区分」に該当しますので、その申請を行い、使用料を払うということになります。
 歌詞・楽曲がJASRACの管理しているものであれば、JASRACの規程に沿って申請し、使用料を払います。
 使用料は使用目的、定価の有無、複製部数等に応じて決められています。学校で配布するもので定価はなく、部数も2500部以上にならなければ、JASRACの規程に沿うと、1曲につき歌詞、楽譜それぞれ1800円の使用料で使用できるということになります。また、場合によっては同規程の但し書きが適用され、減額される可能性も考えられます。
(但し確認しないと言い切れませんので、機会があればJASRACにお尋ねしてみようと思っています。)

 さて、実際の権利処理は、1.費用、2,対象、3.方法 の3つの点から考えます。
 本当は対象が一番先なのでしょうが、最初からべらぼうに高いと分ってる素材の使用ははずしておくこともテクニックでしょう。但し交渉の余地があるという場合は使用料についても交渉の対象として留保します。
 2の対象ですが、これは当然著作物ということですが、そのほかに人のプライバシー、肖像権に関わるものも権利処理の対象となります。
 3の方法は、対象と若干かぶりますが、誰に、どうやって、どんな権利を、処理するのかと言う点、そして注意すべき点は何かという事で、このことによって処理の範囲を限定していきます。
 以上のことを踏まえて、次のステップで権利処理を進めます。
 1.著作物、その他権利を特定し、著作物の権利者を探す。
 2.交渉、申請書を送付する。
 3.許諾後、使用料支払。使用料の額に応じてここで使用を断念することもあります。
 4.使用する。必要に応じて使用報告書を提出する。

 著作物が先ほどのJASRACのような団体(著作権等管理事業者といいます)が管理している場合ですと、前述のとおりある程度決まったフォーマットに則ればスムーズにいくものです。
 特に音楽の著作物は権利処理も権利管理も歴史が長いですから、ノウハウの蓄積もあり、権利処理の対象としては非常に楽なものです。
音楽の著作物の場合、著作権等管理事業者に権利を預けている方ですと、実は申請すれば外国曲を除いては原則必ず使用できます。
 著作権等管理事業者というのは権利を一括して管理するのと同時に、管理している著作物の利用については、許諾しなければならないと言うことになっています。これを応諾義務と言います。
 従って楽曲などを使用するときにJASRACのメンバーだと実は権利処理は大変楽なのです。

 では、著作権等管理事業者に預けていない権利者はどうすればよいでしょうか。
 次は著作権等管理事業者のない著作物、あるいは著作権等管理事業者に権利を預けていない権利者を探し出すことからお話したいとおもいます。

(E)

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2006年08月04日

著作物の(二次的)利用 その9〜学校における著作物利用と権利処理(3)

<権利処理を必要とする場合>

 先に申し上げた「権利処理が必要となる場合」をそれぞれ具体的にみていきます。
 まずは、権利者の権利を不当に害する場合。
 これは利用する著作物の、種類・本来的用途・複製される部数・状態から判断します。
 よく言われますのは、市販の問題集を1冊だけ買って生徒に全部コピーして配る例。これは問題集は元々一人1冊購入され利用されることが目的なので、問題集の出版社の経済的権利を不当に害すると言うことで、学校の授業といえども許されないといわれております。他に、合唱コンクールの課題曲の楽譜を全員分コピーして配るですとか、1台分しか得ていないPCソフトのライセンスを複数台のPCにインストールする等があげられます。
 複製される部数や使用の状態に関係するものは、受け持ちクラスの人数以上の部数をコピーすることがあげられます。では、何部までなら許されるのか。30なら良くて50はだめなのか、一クラスというが大学だと300人規模のクラスもあるではないか…等々色々と話題に上りますし、50まではよいといった発言が一人歩きしていることもありますが、何部までは良いという明確な規定はどこにもありません。
 ただよい目安としては、35条ガイドラインにおいて「原則として、部数は通常の1クラスの人数と担任するものの和を限度とする」とし、続けて「小中高校及びこれに準ずる学校教育機関以外の場合、1クラスの人数は概ね50名程度を目安とする」となっています。ガイドラインとして各権利者団体のHPにも記載されていますので、少なくともこれに従った部数であればクレームも付きにくいといえるかと思われます。
 それからあまり言われないことかもしれませんが、学校での利用といえども著作者人格権まで制限されるということではありませんので、注意が必要です。もちろん通常の著作者人格権の及ぶ範囲よりは狭いと解釈されていますが、著作者の意に反する改変、つまり望まないような改変は学校教育といえども容認されないということになります。

 次に著作権法の例外に該当しない利用の場合。著作権の制限に該当しない場合というのは、著作権法30〜50条の規定に含まれない場合です。
 公衆送信は原則全て当てはまりませんので、注意が必要です。(当てはまるのは同時遠隔地地形の場合のみであり、私的利用でも例外ではありません)また、非営利無償無報酬以外の上映等も該当しません。
 入場料を寄付する目的でコンサートを開いた場合でも、入場料を徴収した時点でそれは無償ではないという解釈が取られています。先般の東京地方裁判所の判決を受けて、逐条講義の解釈についてご意見は多いと存知ますが、「著作権が著作者の排他的独占権である」と法が認めている以上、その例外としての規程は厳格でなければならないということの現われとしては正しい解釈ではないかと思います。但しそれが現実社会や実務にそぐうものであるかという議論は別であろうと思います。

 そして、目的外の使用をするとき。これは「著作権の制限に該当する利用法」で利用したものを別の形で利用する場合、つまり、35条に該当する行為によって作成された調べ学習の成果をHPで公開する、というような場合です。調べ学習の成果の中に他人の著作物を複製し利用していても、著作権の制限の範囲ですので問題はありませんが、これをHPで公開、つまり公衆送信するとなると権利処理が必要となる訳です。
 許諾を取って有償のコンサートを開いたら大変好評だったので、DVDに複製して皆に配るというのも、コンサートを開く=演奏するという許諾と、DVDに固定し複製するという行為は別の行為であり、再度権利処理が必要と言うことになるわけです。

 さて、自分が利用が著作権処理が必要な場合に該当したらどうすれば良いでしょう。次回は「権利処理」の実際を解説してみようと思います。

(E)

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2006年07月28日

著作物の(二次的)利用 その8〜学校における著作物利用と権利処理(2)

<権利処理が必要のない場合>
 では、早速権処理の必要がない場合というのを申し上げましょう。
 具体的には、次に言う場合は著作権法の例外、つまり著作権の権利制限に該当する行為ですので、権利処理の必要がありません。
 著作権法第35条第1項に該当する、複製=授業に使用するために著作物を複製、コピーすること。コピーには、録音、録画も含まれますし、インターネット上の著作物をPCにダウンロードすることも「複製」に当たります。調べ学習で生徒がインターネットから文献等を探し出しダウンロードして利用するというのは、この35条に該当する行為となるわけです。他に先生が授業で利用するため新聞記事をコピーして配布するという行為も該当します。但し、コピーについては、コピーの数量に注意が必要となります。
 次に同時遠隔地授業のための公衆送信の場合、これはA大学の授業をB高校で同時に配信して、B高校の生徒も授業を受けるというような授業の過程においての場合です。この場合は「同時」と言うことが重要です。
 これ以外の公衆送信、つまりネットにアップロードすることは許諾が必要ですので、たとえフォローアップのつもりで授業の様子をサーバに保存しておくなどするのは、この範疇には入りませんので注意が必要です。
 この様な学校での利用においては、必要の範囲内においてですが、例えば、英語の文献を原文では解らないので先生が翻訳して生徒に配ったり、まだ習っていない漢字を仮名になおすというような翻案して利用することも、権利者の許諾を必要としません。
 学校の授業でビデオを視聴したり、教科書の朗読や、語学テープの再生、校内放送で音楽をかける等、これらは第38条の「営利を目的としない上映等」に当たります。「上映等」ですので、上映、演奏、上演、口述という無形的な利用法が全てこの条項に当てはまります。
 他に入試試験の問題作成は36条「試験問題としての複製等」で認められる行為です。
(詳しく知りたい方は著作権法30条から50条にかけてを参照してください。)

 このように、教育目的という事で色々優遇されますが、「著作権の制限に該当」しないような利用の場合は、原則として商業利用の場合の権利処理と同じ手続きを踏むということになります。この手続きがつまり権利処理になります。
 権利処理が必要となる場合は
  1. 著作権法の例外に該当しない場合
  2. (さらに)権利者の権利を不当に害する場合。
  3. 目的外の利用の場合。
 となります。

 では、次回は権利処理を必要とする場合について考えてみたいと思います。

(E)
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2006年07月19日

著作物の(二次的)利用 その7〜学校における著作物利用と権利処理(1)

 
 今まで、著作物の構成から著作物を借用するという行為について考えてみました。先日、教育委員会の先生方に「学校における著作物利用と権利処理」というタイトルでお話しをしてまいりました。今回はそのときの内容を加筆修正し、利用するということを中心にすえて、学校における著作物の利用と権利処理という視点からお話ししたいと思います。

 まず、権利処理とは何かということを再度確認しましょう。
 権利処理とは、著作物の利用に当たって、著作権者等の権利者から許諾を取る作業のことをいいます。通常「著作権処理」といいますが、著作権以外の、例えば肖像権ですとか所有権などの権利についても許諾を取る作業も併せて権利処理といいます(但しここでは著作権処理について申し上げます)。これは利用する前に許諾を取る必要があります。
 よく、利用した後に、あるいは映像作品だと編集が終わった後から権利処理をするとかんちがいしている方がいますが、原則は利用の前です。
 ですので、権利処理の流れは、使いたい著作物が決まったら、権利者を捜し、交渉し、許諾を得たら使用料を支払うということになります。
 権利処理をする相手は、当然、著作権者等の権利者です。著作権というのは複製権、上映年といった著作物の利用の仕方についてそれぞれ権利、これを支分権といいますが、があり、その権利の総称が著作権というと考えるとわかりやすいかと思います。
 著作権者は著作物の利用方法を細かく定めて諾否を決めることで、自分の権利がどのように扱われるかをコントロールし、権利侵害をされないようにします。そのためには、利用者と直接交渉し、契約を交わすこととなります。しかし個別に交渉・契約するというのは、著作権者等の権利者にも手間が掛かりますので、予め使用許諾内容を定めておいて、著作物管理団体に管理委託することも可能です。
 これが音楽であればJASRAC等であり、利用者は権利者と直接交渉ではなくて、管理団体に申請書を出すだけですむ、ということになるのです。
 さて、著作権は著作者の独占的排他的権利ですから、本来著作物の利用に当たっては全て著作権者等の権利者の許諾が必要となります。また、異なる利用形態の場合は改めて許諾を取り直すと言うことになります。例えば、放送番組をDVD商品にして販売するときは、放送の権利処理とDVD化の権利処理はそれぞれ行わなければなりません。
 但し、例外的に許諾を受けずに利用できる場合があります。著作権は著作権者のもつ非常に強力な権利ですから、著作権者が NOと言えば利用できません。その独占的排他的権利を一定の条件の下の使用では、権利者の意思にかかわらず例外的に利用することができます。この例外とする場合に該当するのが、学校教育等での利用なのです。この様な例外的に許諾を得ずに利用できる場合を「著作権の制限」といいます。著作者の持つ「権利」を制限するわけです。
 学校教育現場で著作物を利用する場合の多くが、著作権法第35条(学校等教育機関における複製等)、第36条(試験問題としての複製等)、第38条(営利を目的としない上演等)等に該当すると思われますので、普通に授業で使ってる場合は、権利処理は必要ないということになります。

 学校における著作物の利用というと、すぐに思い出されるのが著作権法第35条ではないでしょうか。これは、学校教育というものの重要性と公共性を鑑みて、又著作物の利用は教育には不可欠であるという実際的な側面から、教育利用についてはなるべく自由に使えるようにしようというものです。但し、今まで申し上げたとおり、著作権法に規定される例外の一つであるということを忘れないようにしなければなりません。規定された条件を満たせなければ、学校での利用といえども、権利処理が必要となるということを理解いただきたいと思います。

 私は学校においても権利処理をしなければならないといっているのではありません。現行の著作権法に則った利用をするのであれば、学校現場においても著作物の利用について正しい理解が必要であると言うことを認識すべきであると申し上げたいのです。その上で、「やっぱりおかしい」「使いづらい」等々の声を、現場の先生方からあげていくことで、あるいは法改正等の具体的な改善アクションに繋がると思うのです。声を上げるためにはまずは理解すること、定められたとおりに利用してみることが重要ではないでしょうか。

 次回は、学校における著作物利用のうち、「権利処理が必要のない場合」を具体例を交えて説明したいと思います。

(E)

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2006年07月13日

著作物の(二次的)利用〜その6.実際に利用する場合の注意点

 これまで数回にわたって、いくつかの著作物の構成について説明しました。なぜ権利処理をしなければならないのかということは、この著作物の構成を知らないと難しいものです。放送番組や、番組映像の抜き出しがなぜ放送局の許諾だけではできないのか、小説の利用を出版社では許諾できないのはなぜか。権利処理をしているとだんだん著作物というものがどういうものなのか、著作権とは何なのかということが見えてきます。「著作物を創作した者を著作者といい、著作者は独占的排他的権利である著作権を持つ」ということが実感として理解できます。どんなに言葉を尽くしてもどんなにお金を積んでも利用できない著作物がある、という事実から著作権というものが、利用の諾否であるということがわかるのです。また権利処理というのは権利者を捜すところから始まる地味な作業なのですが、この二つの実務経験から、著作権管理団体の意義と必要性が理解できます。私は権利者団体から賄をもらってるわけでも、関係者でもありません。一権利処理実務者として思うのです。彼らが居丈高であったり、市場動向、世論を全く無視した権利主張をする所があるところは否定しません。しかしそれでも、申請すれば許諾されるというのは大量に処理する側としては大変便利なのです。存在の善悪の評価はさておき、申請すれば許諾されるという点については記憶の隅にとどめておいていただければ、必ず訳にたつ情報であると思います。
 さて、本題である、実際に著作物を利用する場合の注意点です。
 まずは著作物は一つの著作物から成り立ってるわけではないという点です。従って許諾を求める先が一つだと安易に考えないことが重要です。幾度も申し上げましたが、このもっとも基本的なことは忘れがちで、「権利者の確認がいります」と言おうものなら、「おまえが権利者だろう」っと言い返したくなるのです。使用する著作物は一つでもその背後に潜む著作物があるということをふまえ許諾先を想定することが必要になります。一つの著作物を構成している要素に分解してみるという作業は有用です。そうすることで許諾を取る相手と権利が明確になります。音楽の著作物なら作詞と作曲2つの権利があるし、楽曲をCDから取れば、さらに演奏家(実演家)、レコード会社が絡んでくる、小説は中身だけが著作物だから、作家の権利…というフウに。
 しかし、複数の権利者がいるからといって、それをめんどくさいというフウには思わないでいただきたいです。なぜ著作物を使いたいと思ったかという自分の欲求に立ち戻ることで、自身の創作意識や作品の完成度を高めるという創造の原点、それこそ文化について考察する機会ととらえるようになればと思います。
 次に無許諾で利用できるという著作権の例外規定(著作権の制限)はなるだけ考えないことをあげたいと思います。授業で使うからといってすべてが著作権法第35条でOKという訳でもないし、加戸説によれば、非営利・無料・無報酬の上映だって会場費の支払いがあれば該当しないというくらい、例外というのは厳密かつ厳格な判断を要求されるものなのです。
 「これは私的利用だから」とか「これは授業で使うから」と考えていると思わぬところで権利侵害となるわけです。しかし同時に忘れてはならないのは「権利者が言っていることがけして正しいわけではない」ということです。特に企業への問い合わせの場合、その担当者自身が著作権についてよくわかっていない場合が往々にしてあるのです。また権利のない権利者"もどき”がクレームを付けてくることだってあるのです。真の権利者が「利用してほしくない」と言った場合だけが、著作物が利用できない場面であって、それ以外は利用できる可能性が十分にあるのです。

 本ブログは教育と著作権についてのブログですので、学校での著作物利用に特化してお話ししようと思います。学校での著作物の利用については著作権の例外規定に当てはまることが多いので、利用する場合の条件をさらに細かく確認する必要があります。ちょうど「学校における著作物利用と権利処理」ということでお話しする機会がありますので、次回はその内容をお伝えすることにします。

(E)

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2006年07月07日

著作物の(二次的)利用〜その5.著作物の借用 (3)書籍・雑誌からの借用

 映像作品は例えば、放送なら「放送番組」という入れ物自体が著作物で、その中に詰まっている構成要素(素材)の一つ一つも著作物です。新聞は「新聞紙面」自体は編集著作物ですが、それを構成する個々の記事や写真も個々の著作物です。では、書籍はどうでしょう。
 書籍も映像作品や新聞のように「入れ物」に出版社の著作権があるのでしょうか。残念ながら放送番組や新聞社ほどはっきりと出版社に著作権がある、とはいえません。著者と出版者の間に著作権譲渡契約等の一定の契約があれば別ですが、原則として出版社は著作権者にはなれません。出版社は単に著作物を『出版物』として複製・頒布する権利を、著作者との契約によって得ているに過ぎないのです。簡単に言えば、出版社が出版する『出版物』とは、作者の書いた原稿を市場に置けるような形に整えているだけで、著作物ではないのです。つまり書籍だけが、外側の入れ物は著作物でないとされ、入れ物に入った中身だけが著作物になるわけです。
 著作権法においても、出版社には「出版権」という権利の記載がありますが、これも著作物を出版物として複製、頒布する権利であるということを述べるに過ぎません。また出版社は放送事業者のような著作隣接権者でもありませんので、その意味では一定の契約を交わさない限り書籍については著作権とはまったく無縁な存在となります。
 もちろん雑誌や全集のような「編集著作物」に該当するもので、編者が出版社の場合は出版社は新聞社同様「編集著作権」が認められます。雑誌のページをそのまま利用するとかですと、出版社の権利ですが、記事や写真のみを使用する場合には、個々の著作者の権利であり、出版社の権利は及びません。 
 注意しなければならないのは、この場合の「編集」というのは出版社の人が使う「編集者」とか「編集」とは異なる意味であることです(著作権法上の「編集」の意味については、先回参照)。出版社における「編集」というのは、作家の原稿をまとめたり、なおしたり、組み替えたり・・・という一連の作業のことをさすのだと思います。実はこの作業は大変重要で、担当者の力量によって作品事態が大きく変化することもあると思います。作品によっては編集担当者と作家の共同著作物になるのではないかという変化すらあるのではないでしょうか。けれど出版社(編集者)は大変忍耐強いというか、そのような権利主張を『作家に対して』行うということはあまりないようです(一部のコミックスを除きます)。また、出来上がった作品の二次的利用についての統括的交渉窓口になることもあまりないようです。いわゆる「出版契約書」には、複製、頒布して出版することについてのみ取り決められており、場合よっては「版型」(文庫とか単行本とか)まで細かく決めてありますから、本当に形を整えて世に送り出すと言うことだけを行っているといえるでしょう。その意味においては、出版社というのは作家を発掘し、育て、著作物を世に送り出す縁の下の力持ちなのでしょう。

 さて、そのような書籍なので、お分かりいただけると思いますが、小説などの「書籍」からの利用について出版社に許諾を求めても仕方ないということになります。出版社は原則的に著者との中継ぎ程度のことしか出来ません。出版協会が提供している出版契約を拝見すると、そのフォーマットに則った契約が標準であれば、出版社にある程度の権限が譲渡されているようですが、実際の契約締結率から察するに、出版社ひとりで回答を提示することは難しそうです。やはり出版社の担当者から著作者に確認してもらうということになりそうです。
 もちろん小説家や脚本家は、それぞれ著作権管理団体がありますので、そこの会員であれば、音楽の著作物同様申請だけで利用は可能です。ただ私の経験から申せば、諸所の事情もあり、音楽の著作物の利用ほど、簡単にことは進みません。
 もっとも、学校における書籍の利用はほとんど著作権法第35条、第36条、第38条でカバーされる利用が多いと、あまり問題にはならないと思われますが、逆に許諾を要するような利用に該当するときは要注意です。
 これまで3回にわたって借用される著作物の構成について説明いたしました。次回はそれらを実際に利用するときの注意点をもう少し掘り下げてみたいと思います。

(E)
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2006年07月03日

著作物の(二次的)利用〜その4.著作物の借用 (2)新聞からの借用

 先回は映像作品(放送番組)の構成と再放送といえども権利処理が必要であることを述べました。他に学校教育でよく利用されると思われる著作物は、新聞でしょうか。
 新聞というのも著作物利用の観点からみると面白い構成をしています。放送番組と似たような構造になっていますが、著作物が見えているという点では少しシンプルかもしれません。新聞紙面は新聞全体の記事の選択や配列を新聞社が編集して構成されますので、編集著作物として新聞社の著作物ですが、紙面を構成する個々の記事になると微妙なはなしになるわけです。
 新聞紙面はいくつかの記事と広告等から構成されています。紙面全体には記事の構成や配列に創作性があると認められるので、紙面の編集著作物にあたり、編集著作権を持つ新聞社が著作権者となります。 
 紙面を構成する個々の記事は、新聞社所属の記者の原稿もありますが、契約したライターの記事やカメラマンの写真をつかっていることがあります。新聞社所属の記者の記事は「法人著作」として新聞社に帰属します。契約したライターやカメラマンの記事は新聞社に著作権が帰属しません。したがって借用にあたっては、その記者なりカメラマンと新聞社の使用契約の条件如何になるので、放送番組のときと同じように使用契約の条件という純粋に契約の問題となります。 
 さらに新聞自体は継続的刊行物です。継続的刊行物とは「冊・合・回を追って公表する著作物」ということで、新聞、雑誌、年報等の継続的に刊行される著作物を指します。ということは、著作権の保護期間の判定基準が普通の著作物と違い、公表される日にちが起算点になります。ということは、新聞自体の著作権は50 年前の新聞から毎年消滅していくわけです。しかし、個々の法人著作でない記事の著作権は、著者の死後50年となります。従って新聞に掲載されている記事や写真の二次利用を考える場合も、個々の記事の著作権者は必ずしも新聞社でないという点に注意が必要ですし、新聞紙面全体の著作権が切れても新聞紙面を構成する記事や写真の著作権も切れているとは限らないということに注意が必要となるわけです。
 
 では、新聞を二次利用したいときはどうするか。授業で利用する場合や著作権制限条項に該当する場合は当然許諾は必要ありませんが、例えば、授業で発表した内容を学校のHPに掲載したいというような場合は、授業以外の利用(目的外利用)になるので、改めて権利処理が必要となります。
 まずは新聞社に紙面の借用を申し込みます。記事や写真が外部のライターやカメラマンの著作物(と新聞社がきちんと認識していれば)であれば、きちんとした新聞社なら許諾先を教えてくれますし、自社記事のみの場合は利用条件(使用料やクレジットなど)を提示されます。
 ちなみに見出しは著作物ではないと解釈されていますので、複数の新聞社の「××逮捕」という見出しだけいくつも重ねて表示するなどの場合は、特段許諾は必要ないと考えます。また記事や写真だけを利用し、紙面全体の利用をしない場合は、編集著作権は働きませんので、単純に記事や写真の使用許諾を得ればよいということになります。
 その新聞社が著作権者である記事や、紙面についてはよく「同一性保持権」を理由に断れることがあります。「同一性保持権」は、非常に主観の強い権利です。同一性保持権は著作者「その意に反して」改変を受けないという権利であり、その判断尺度は著作者にある程度委ねられているわけです。従って著作者の主観的な要因が入り込む余地があるものですから、「いやだ」といわれれば「それはおかしい」という理屈をいくら並べても仕方ないということになります。但し「やむを得ない改変」である場合は、この権利は制限されます。もっともポピュラーな例は、学校教育において漢字等の用字制限のために、漢字を仮名にしたり、平易な語彙に改めるというものです。このような改変ですら「同一性保持権侵害にあたる」といっている新聞社があればそれは行き過ぎた権利主張であるといえるでしょう。

 新聞はどの授業においてもよく利用されますし、利用すべきであると思います。良質な文章、報告のあり方を学ぶことはすべての活動の根本であると思うのです。その教材としてそれが最適であるかはともかく、様々な著作物にふれるということは生徒には大切であると思います。そのために多少手を加えることについて寛容になっていただければと思います。

 放送、新聞と記載しましたので、次回は書籍について書いてみようと思います。 

(E)
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2006年06月26日

著作物の(二次的)利用〜その3.著作物の借用 (1)

 自分で何か作品を作るときに全く自分のオリジナルだけで構成することは難しいと思います。(それが著作権フリーと書いてあったとしても)他人の作曲した楽曲をBGMに利用したり、本から写真を利用したりすることがあると思います。複雑になるので、ここでは「引用」として認められる使用法は除きます。単純に自分たちの作品に「著作物」を借用するときです。
 例えば、映像作品を作ったとき、その映像作品全体は自分たちの著作物です。自分たちで撮影した映像はもちろん、BGMに利用したCDからとった音楽も、▼▼新聞社から借りた写真も、★★放送局から借りた映像もすべて映像作品の構成要素となり、「映像作品○○」という著作物として、制作した人に著作権があることになります(やはり複雑になるので、映像の著作権に特有な点もここでは割愛します)。制作した人は自分の著作物ですから、複製も頒布も公衆送信も自由にできますし、他人の使用の諾否も決定できます。
 但し、作品全体の著作者は制作した人であっても、作品の制作過程で人から借りたものがあります。これらは借りたからといって制作者のものになったわけではありません。お金を払ってレンタカーを借りたけど、そのお金は車を永遠に所有するための対価の一部ではないのと同じです。その目的、その条件で「利用」するために対価を払ったに過ぎません。借用著作物も同じです。写真を借りるときも映像を借りるときも必ず使用目的を明らかにし、その目的、その条件にしたがって利用できるだけです。それを超えて利用するときは、改めて交渉するわけです。
 したがって、先ほど「自由にできる」といいましたが、自由にできるのはあくまで徹頭徹尾自分の著作物な物だけ、一定の条件と目的を示して「借りた」物については、それ以外の利用方法(目的外使用)については、再度許諾が要るということになるわけです。

 意外かもしれませんが、放送番組の再放送も、この目的外利用等にあたる場合があって、再度権利処理が必要となる場合があります。もちろん番組制作の契約(出演とか借用とか)時において、「★★テレビ局、同ネットワーク局及び同時再送信する有線放送における放送、放送各話2回、但し24時間以内の再放送は放送波に関わらず1回と看做す」といった条件にしているはずなので、たいていは数度の再放送が可能です。しかし思いのほか反響がよく、再放送の要望が強く、先の契約の放送回数を超えて再放送することになったときは、改めて許諾を取る(これが権利処理です)必要があります。特に、古い番組(アーカイブスと呼ばれるようなもので、未だ著作権が存続しているようなもの及び所有権を主張されるような作品が含まれている様な場合)は番組の構成から紐解いていかなければなりません。この写真は借用か?ここで朗読されている手記は誰のものか?インタビューされてるこの人の肖像権はどうすればいいの??(これが一番難しいのです)などなど・・・。音楽のキューシートや構成台本、「権利台帳」などが残っていれば比較的簡単に処理が出来ます。しかし古い番組であればあるほど、そのような資料は残っておらず、当時の関係者を探し出し聞き出し・・・という地味な作業を繰り広げなければなりません。
 視聴者は放送していることから単純に、TV局ひとりが権利者だと思いがちなので、なんでそんな出し渋りをするんだーという感想を持つのですが、放送局は自社で最初に放送すると決めた回数分しか権利処理していないので、予想に反してブレイクすれば自社で再び放送するのにも再処理しなくちゃいけないわけです。それでもすべての権利を買い取るよりははるかに安いのですけれど。。。
 
 著作物(特に映像の著作物、特に放送番組)の場合は、たくさんの「素材」が集まってひとつの著作物を構成していますから、利用者としては個々の「素材」について個々の権利者(著作権者)の権利について注意することが大切です。特に、教育目的で利用するなど著作権の制限範囲での利用をするときには、ついつい忘れがちですが、利用者としては著作物の構成についてしっかり理解し、その上で、「やっぱり使いにくいので改善した方がいい」という意見を持ってほしいと思います。
 長くなりましたので、次回も「著作物の借用」について具体事例を交えてお話したいと思います。

(E)
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2006年06月20日

著作物の(二次的)利用〜その2.原著作物と二次的著作物

 著作物の利用と権利処理の前にまず、簡単に「二次的著作物」について簡単に説明してみます。
 著作物Aを使って、創作された別の著作物Bを「著作物(A)の二次的著作物」と言います。逐条講義によれば「既存の著作物を使わないで独自に新しく作り出した著作物・・を原著作物と呼べば、原著作物をベースに出来上がったもの・・が二次的著作物」と説明されています。
 二次的著作物は、大別すると原著作物の翻訳・編曲・変形・翻案の4種類の方法で生み出されます。翻訳は、言語Aから言語Bに訳すこと、編曲は曲をアレンジすること、変形は表現形式を変えること、そして翻案は、具体的には映画化、コミックスやゲームなどにすること、「小説を児童向けの読み物にリライトする行為」や「長い文章を短くダイジェストする行為」等、「内面形式は保ちながら外面形式を大幅に変更する」様なものがあげられます。
 例えば、英語原作「Harry Potter」を「ハリー・ポッター」として英語から日本語に翻訳することは、「Harry Potter」の二次的利用ですし、さらに映画にすることも「Harry Potter」を翻案した二次的利用(による映画化)ということになります。(著作権法では第2条第1項第11号に「二次的著作物」についての定義があります。)つまり、
 英語原作(=原著作物)⇒(翻訳)⇒日本語訳書(二次的著作物)
 英語原作(=原著作物)⇒(翻案)⇒映画(二次的著作物)
ということです。これがコミックスとかゲームとかになってもそれぞれ「二次的著作物」です。もしもコミックスが日本語訳書からの翻案であった場合は、コミックスは日本語訳書の二次的著作物(原作から見れば、三次的著作物)で、日本語訳書は英語原作の二次的著作物とどんどんつながっていきます。しかし英語原作はどこまで行っても原著作物なのです。そして元になった原著作物の権利は、二次的著作物が利用されるたびに同じように働くのです。(著作権法第27,28 条)
 つまり、『著作物』を利用しようと思ったら、その背後にも「著作物」が潜んでいないか確認し、利用にあたってはそれらの権利処理もしないといけないのです。映画を利用したいと思ったら原則としては、原作、脚本も権利処理対象となるわけです。

 原作がなく、書き下ろし脚本のドラマや映画というのも多いものです。後からノベライゼーションされるということもよくあります。これがかなり曲者です。出版物があるとそれが原作だと思ってしまう、特に活字の場合はその傾向が強いようです。あるとき、ビデオ化の担当者が原作の権利処理をしていないと青い顔できたことがあります。商品の発売日の1週間前くらいだったと思います。さすがに原作者にまったく知らせずに商品の販売は出来ません。(契約上の条件は後追いでも何とかなります)とにかく詳細を聞いてみると、「本屋にこれが平積みになっていた。このドラマは原作がないと聞いていたがちゃんと本があるじゃないか」ということなのです。ええ、ドラマが好評だったのでノベライズしたものです。脚本(≒原作)⇒(翻案)テレビドラマ化⇒(翻案)小説(ノベライゼーション=ドラマの二次的著作物)なんですが、出版物=原作本と思ったようです。この手の勘違いは非常に多いものです。原著作物が脚本やコミックスならまだいいのですが、最近はゲームが原著作物になる場合も多くなっています。ゲーム等は二次展開の産物と思ってしまうのですが、ま逆な開発がされることがあるというのは注意が必要です。
 この手の(善意の)勘違いは、権利のないところに権利を生み出してしまう可能性が高いので、権利処理方としては要チェックなのです。
 
 さて、商業目的の場合は全て権利処理の対象ですが、教育目的での利用においては、授業で利用(35条の範囲内)する著作物を翻訳、編曲、変形、翻案して利用することが認められています。例えば、外国語の散文を先生が訳して教材にする、歌謡曲をみんなで歌えるように合唱用にアレンジした楽譜を配る、難しい記事を生徒向けに書き直す等というのが、学校において多い使われ方ではないかと思います。これらの行為は許諾を必要としません。ただし「授業利用」からはずれると許諾がいることになります。「とても上手に出来たので、 ○○にしよう(HPに載せよう、合唱の様子をDVDにして配ろう等)」というときです。アレンジとかリライトしたという自分の行為(二次的著作物の創作行為)について、「自分で作ったんだからいいでしょ」的な気持ちになるようですが、元にした著作物(原作・原曲)があるということを忘れがちです。しかし、翻訳しても翻案しても元になった著作物がある限り、その著作物(原著作物)の権利はずっとついて回るのです。
 この点をきちんと理解していないと、映像作品とBGM、出版物と掲載写真の関係等「著作物の借用」のとき の、借用著作物の権利と全体の著作物の権利の関係が混乱してしまいます。
 逆に元になった著作物がなければ、当然、「背後の著作物」の権利は考える必要がありません。問題が起こるのは著作物Cに「インスパイア」されてある作品Dを生み出したときや、表現形式が似ている(と主張された)場合です。このあたりは商業利用の場合はものすごく注意を要するところですが、教育現場だとあまり関係ないともいえるでしょう。
 この「著作物の陰に隠れた別の著作物がある」という可能性について十分注意が必要であるということは、次回の「著作物の借用」というときの権利処理の時にご説明したいと思います。
(E)
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2006年06月08日

著作物の(二次的)利用〜その1.「あなたの常識は、あの人の常識ではない。」

 私の本業は「権利処理」です。現在は法務的な作業しかしていませんが、以前は主に映像の二次利用についての権利処理というかなり実務的でコアな権利処理を行っておりました。例えば、「映画Aの1シーンを5秒、放送番組Bに使用する」という場合や、「歌謡番組をDVDにして販売する」といったときに発生する類の権利処理です。また、その逆の「放送番組Cの1シーンを5秒間、D放送局の番組に使用許諾する」という放送局や新聞社等への映像素材の販売も扱っていました。
 劇場公開の映画や、テレビアニメの場合には、上映・放送の次の展開まで見越して幅広い権利の利用について契約することが多いです。劇場公開に併せて、ノベライズを出したり、ガイドブックを作ったり、パンフレットも販売すれば、グッズも販売する。公開後はDVDを発売し、時間を置いてレンタルを展開し、やがてテレビ放送される…展開に前後はあるでしょうけれどおおよそこんな感じで、1本の映画が利用されていきます。アニメの場合はさらに、キャラクターグッズという強力な展開があります。文具・玩具・衣類…。先日行われた東京アニメフェアでは「ガンダム」のゴルフバックが参考品として展示されていました。なるほど〜今や大きいお友達は接待でゴルフとか行くお年なのかと妙に納得しつつ、結構ほしいかもと思いました。
 これ以外の『映画の著作物』つまり放送番組、ゲーム等ですが、の二次展開というのは結構大変です。特に放送番組の場合は、放送に関する権利についてのみ契約を交わすことの方が圧倒的に多いのです。
 よく「どうせDVDやグッズの展開するんだったら最初からそういう権利についても契約しておけばいいじゃない」といわれます。確かに明らかに人気があって、DVDもキャラクターグッズも売れると確信があればいいのですが、大体は「放送する」と言うことが主目的ですから、それ以外の未知数の展開についてコストをかけたくない、ヒットすれば改めて交渉しようとなるわけです。テレビ番組の場合はスポンサーがあり、視聴率は気にするけれど制作費の回収自体は放送局や制作会社はあまり気にする必要がありません。劇場公開映画の場合は制作費の桁が違いますし、かつては大手映画製作者1社で制作し、興行していましたが、現在は大体複数人の出資者(よく「製作委員会」といわれます)がいるので、それぞれが自社の出資分の回収に積極的になるのです。
 今は二次展開をにらんで放送契約のときにDVD販売等についても契約するのかもしれませんが、テレビ番組のDVD(当時はVHSとか)が売れるなんて考えの無い頃でしたから、人気が出た番組やかつて反響の大きかった番組などについては放送終了後や、過去にさかのぼって番組の権利関係を突き止めて再権利処理してビデオを出す、ということになります。そういう権利処理が私の主な仕事でした。
 
 私が権利処理を初めて間もない頃に、「あなたの常識はその人の常識とは限らないと思って交渉することが大切だよ」と言われました。常識(コモンセンス)が一緒ではないとはなんと困ったことかと思いましたが、確かに私たちは交渉の過程や許諾状況について必ず書面を作成しますし、これは私たちの常識です。でも多分これは特殊な「常識」なのでしょう。同様にその是非はともかく「ちょっとインパクトのある映像表現にしよう」というのは制作者サイドの共通認識なのかもしれません。ある女優さんのプロフィールを紹介するシーンで「女王蜂」の映像をバックに使いたいと言われたときに、あまり上品な感じがしないなと思ったことがありますが、映像構成的には十二分にイメージを想起するという点では、制作現場のいう方がもっともなのかもしれません。
 立場が変われば、見解も理解も力点も違う。それでも「これ」=著作物を使いたいのはなぜか、どうすると公平に提供できるのか、お互いがハッピーになるポイントはどこか…これはいつも忘れずにいたいと思っています。

 さて、そんな権利処理をしていますと、当然教育関係の方からもお問い合わせをいただきます。放送番組の借用を依頼した方の多くが、借用できなかった体験をお持ちなのではないかと思います。
これからの数回は「権利処理」ということから、「著作物の利用」について私の経験をいくつかご紹介しつつ、なぜ「権利者はあんなことを言うのか」ということを考えていきたいと思います。

(E)
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2006年06月02日

「悪」なのは「権利者団体」なのか

 これまで数回にわたって「権利者団体は悪なのか」という視点から権利者団体と利用者、そして利用者の中でも教育関係者という特化して視点から俯瞰してみました。要約すれば、
 ・ 多くの人は「権利者団体」というものの具体的イメージを持ち合わせない。
 ・ 「権利者団体」は自らを理解してもらおうという姿勢が欠如している。
 ・ 「権利者団体」は利用者の立場に立ったサービスを行っていない。
 ・ 利用者は「権利者団体」を敵視している。
 ・ 利用者は「権利者団体」にまっとうな抗議、意見具申を行わない。
 ・ 教育関係者と権利者団体は相互に誤認・誤解がある。
ということが大きな原因となり、結果として団体=悪的イメージが、どの切り口から見ても浸透しているようです。
 さらに(言葉が悪くて失礼ですが-)権利者面して市井の利用者(エンドユーザ)に対して、「権利行使」するという事例がだんだん多くなっているように思います。しかも、あたかも「権利者代理」のような振る舞いをする「輩」のなんと多いことか・・・。もちろんビジネスであれば許せます、お互いプロですし、例えば「営業部の作成したカタログに書の掛け軸が映っていた」時、「複製権侵害」かどうかも含めてコンプライアンスを法務部が指導する(してください)など、商売であれば当然にリスクヘッジします。しかし、市井では「わかりやすく、具体例にのっとり、正確に」著作物の利用及び著作権ついて教えてくれるところはほとんどありません。利用者が最初に思いつき、かつ最も「確実に回答」してくれるのは権利者団体くらいでしょう、但し回答はけして「正確」とはいえませんけれど・・・。(著作権法第38条第1項の解釈についてそれぞれ該当すると思われる権利者に問い合わせてみるとよくわかるでしょう。)
 『「著作権は著作(権)者の排他的独占的権利」なのだから、権利者が絶対である』という主張は当然起こるでしょう。しかしどんな法律にもそれぞれ目的があり、守らんとするものがあります。著作権法における目的とは、第1条記載の通り「もって文化の発展に寄与する」ことです。そのために著作者等の権利の保護を図るわけです。「著作権者を保護すると文化が発展する」ということではないのです。ですが、現状の「著作権」の扱いを見ると、どうも「何より大切な個人の財産権」という位置づけになっているように思います。このような意識が浸透してしまったのは、ひとつには教育手段が未熟であるということが挙げられるでしょう。そして、市井の理解の進まぬうちに、それまでも「権利」で商売していたところが「権利主張」というものを関係者以外に対して始め、さらに「権利者」の立場から教育を始めた…。だからこそ、著作権=財産権という部分のみがクローズアップされ、法本来の目的がかすんでしまっている・・・。

 「権利者団体は『悪』の団体か」と題してこれまでいろいろと述べてきましたが、総括するに、権利者団体が「悪」なのではなく、誰もきちんと教育しなかったということが最大の「悪」なのではないでしょうか。もちろん権利者団体は「悪」の要素もたくさん持っていますし、何故かその側面をアッピールしている言動も多々あります。突然身近になってしまった『著作権』とやらについて、誰もよく知らないうちからとりあえず広めなくちゃと啓蒙を始めたことについては間違いなく賞賛すべき行為です。しかし、理解しやすいからと「権利侵害」という部分から説明を始め、権利者的視点から財産的な部分を中心に教材を作成していったこと、これらが原因となり、現状の問題点を生み出してしまった事は否めません。その意味では、『教育』を統括する文部科学省や『著作権』を所管する文化庁が、その教育の最初を権利者団体に任せたという点においてかなりの責任があると思います。
 幸いなことにまっとうな見解を表明する人たちもふえています。今後はそういった人たちをどうやって増やしていくか、どうやって中立な啓蒙を進めていくか、ということを考える必要があるでしょう。その意味においても教育は非常に重要なのです。学校教育において著作権(知的財産)教育を推奨すること、そのために教師が学べる機会を設けることは大変重大な意味を持つのです。 そして、利用者の立場にも権利者の立場にも立って考えることが出来る、その上で著作権法とは何か、著作物とは何かということを考えることが出来る教育、それはけして貨幣経済の上になるものではないということに気づけるカリキュラムを考えてほしいと思うのです。そんな教育が進めば、少なくとも一元的に○○は「悪」等という感想は抱かなくなると思うのです。けして難しいことではなく、ただ著作権法第1条の意味を考えればいいのです、「…もって文化の発展に寄与することを目的とする」の意味するところを。

(E)
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2006年05月27日

権利者団体から見た教育現場

 学校教育現場からみた権利者団体について、誤認に基づいた見解が多数であるということを前回述べました。
 また、権利者団体からも「侵害の温床」という誤解に基づいた偏見を持っているということも指摘しました。
 今回はその「権利者団体」の誤解がなぜ生じるのか、なぜ教育現場に接近できないのかと言うことを考えてみたいと思います。

 学校教育に「情報」という教科ができ、教育におけるインターネットの利用が促進されるにつれ、ほとんどの学校においてLANがひかれ、インターネットに接続できるようになり、学校やクラスのHPもたくさん作られるようになりました。そこに写真や生徒の作品等いろいろUpされます。
 学校のHPならまず校歌を載せたいと思うでしょう。その時「学校の校歌」の使用について問題が生じました。

 学校の校歌であっても、作詞家が作詞し、作曲家が作曲した音楽の著作物です。ということは、権利保護期間内である場合は、HPで校歌が聞けるようにしている(アップロードしている)場合は、「権利処理」が必要になります。つまり、音楽著作物の管理事業者に管理委託している作詞家・作曲家の楽曲の場合は、当該の管理事業者に申請が必要であり、個人管理の場合は個人の許諾が必要ということになります。
 ちなみにこの「校歌の権利処理」の必要の有無についてアンケート調査したとき、多くの先生が「校歌というのはあなた達(生徒)のものだから、いつでも胸を張って歌いなさい」と指導してきたのに、権利処理が必要とは納得いきません、という感想を漏らしておいででした。
 主に校歌をHPにUPすることに端を発したことですが、合唱コンクールで歌った歌や、吹奏楽部の演奏など生徒が歌唱・演奏する楽曲を皆さんに聴いていただきたい、という思いは多くの学校にあると思います。それは地球上の皆さんにという壮大なものでなくて、地域の人に知っていただきたい、近隣の学校と交流したい、生徒の作品の発表の場がほしいという当然な気持ちからではないかと思います。

 さて、利用者側のその思いが、侵害行為(著作権法上は公衆送信は制限の範囲外なので権利消滅の著作物、引用の要件に該当する場合以外の利用は権利侵害となります)とならないよう、権利者団体も対応すべく努力しました。無許諾のアップロードを権利侵害の警告、訴訟ということではなく、「どうしたら(適法に)利用できるか」という方法を探るべく、利用規程の策定に乗り出しました。そのおかげで、HPでの楽曲使用につき学校教育における利用につき著作権については、無償あるいは非常に安価な許諾料が設定されたわけです。
 で、そのとき、権利者団体の担当者はまずは学校の要望とか意見を聞こうと思ったそうです。いろいろ不満の声を聞くが、きちんととりまとめて聞いた事がないからです。そして、ハタと気がついたそうです「誰にきけばいいんだろう?」。知り合いの学校の先生や、校長先生など個人的な見解を聞くことはよくあります。しかし、教育現場における意見のとりまとめというのはどこがやっているのか?まずは文化庁?それとも個々の教育委員会?と思って伺ってみたところ、「うちじゃない」「管轄が違う」等々たらい回されて、結局全体的な見解のとりまとめの責任を担うところが見つからなかったと。その後どのように交渉されたのかは解りませんが、最終的には非常に合理的な条件での利用設定となったので、そこはさすがだなと思いました。
 これは非常に大きな問題をはらんでいます。お互いが歩み寄る接点が全くないということなのです。いやあるとしてもそれはとてもとても小さい、普通「ここじゃないか」と思いつくようなところが、全くそのような責任を担っていないと言うことです。誰も責任あるコメントをしない、これじゃあどんなに学校教育現場は大変なんだと叫んだところで、ただの愚痴とかわらなくなってしまいます。35条ガイドラインを策定したときには、利用者側(恐らく学校教育関係と思われる)とも協議に入ったという画期的な事が行われたようですが、結局は利用者の同意を得られず、権利者団体の名称のみが記載されたものとなりました。ちなみにアメリカで同様のガイドラインの策定の時も完全な同意はなかったという結果だったように思います。でも、いざ提示されたものについては、批判をする。
 この様なことを総合すると、学校教育サイドも自助努力が必要なのではないかと思えます。全体で意見をまとめ、「教育と著作物」が不可分一体に存在する必要性をもっと深く考え、教育の向上に繋がるようにアピールする必要があるのではないでしょうか。個々の現場の先生の意見を集約し、権利者団体でも国(法律改正等)でも要望していく、そのように現場から声を上げることをもっとすべきではないでしょうか。
 そのような行動がないと結局誤解されたまま、お互い悪者扱いする状態となるのではないかと思うのです。

 私は教育行政の体系、各都道府県、市町村における教育委員会の業務内容等には明るくありませんが、何となく、「教育委員会」というのはその地域の学校のとりまとめ役という気がしています。であるならば、例えば権利者団体が話し合いをもとうとしたときに各教育委員会が結束して、積極的に参加したらどうでしょう。全国にあり、地域の教育を管轄する教育委員会というのはまさに適任ではないかと思うのです。権利者側からのガイドラインばかりが氾濫してどんどん利用しづらくなっていったとしても、現状ではそのやりづらさを甘受しなければならないようです。でもそれおかしい。学校教育現場は不満を言いなから甘受するのではなく、もっと権利者と対等に話す、そのために現場と権利者団体の間に入って調整する役割について考える必要があるのではないでしょうか。学校は教育という非常に大切な役割を担っているのですから。

(E)
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2006年05月23日

教師から見る権利者団体〜誤解と誤認

 途中で「読み聞かせのガイドライン」についてのコメントをはさみましたが、またこの話題に戻りたいと思います。

 さて、先回までに「普通の人の立場」「利用者の立場」という視点からそれぞれ「権利者団体」というものを俯瞰してみました。
 今回は、「教育現場/教師からみる権利者団体」というのはどのように映っているのかということを考えてみたいと思います。私は学校の教員ではないことをあらかじめお断りしておきます。ここに書くのは、私が一部の教師と対面インタビューをした折に抱いた感想です。もしこのコメントをお読みになった先生から他のご意見が頂戴できれば是非参考にしたいと思います。

 学校教育における著作物利用については、著作権法に記載の通り、第35条において先生や生徒が授業に利用する場合には著作物を複製することも、第36条において入試試験問題を作成することも著作権者に無許諾で出来ます。これは、教育が公益事業であることと、教育は他人の著作物を利用せずには成り立たないという実際的な部分とがあるからです。私はこれに加えて、教育は著作権法の究極的目的である「もって文化の発展に寄与する」ことを実現する手段であるからだとも思っています。とにかく、著作権法上「教育」は優遇された環境におかれているのです。
 多くの先生は著作権法第35条の規定をご存知です。条文までそらんじていいなくとも、「教育(学校の授業)では、著作物は自由に使える」という認識はほとんどの方がお持ちです。私がお会いした先生方は主に情報教育やご自分で教材を作成している先生方でしたので、さらに詳細にご存知でした。また、著作物の利用にあたっては場合により権利処理が必要であることも認識されているし、そのために権利者団体の存在もご存知です。実際に権利処理の経験のある先生もいらっしゃいます。但しこの場合最も利用され、最も認知されている団体はやはり音楽の著作物に関係するところです。実際には文芸作品の使用などもたくさんあるので、文芸の団体も認知されてしかるべきだと思うのですが・・・
 それでも大方の先生の「権利者団体」のイメージはけしてよくないんです。極端なことを言えば「学校教育での使用についてまでやかましく言う、まるで***(お好きな単語をお入れください)と同じ」とか、一企業と同じようなイメージを持っているんですね。ゆえに権利処理した場合には「許諾を"勝ち取った"」みたいな気持ちになる。やっぱり「悪者」感が漂っているのです。さらに、権利処理は面倒くさいしよくわからないし、それなら著作権のあるものは使わない方がよい、「著作権フリー」のものを利用しよう、という態度につながっていく。そしてますます、「権利者団体」との溝は深まっていく・・・
 これはおそらく「学校教育に必要なことになぜ許諾が要るんだ」「なぜ費用がかかるのか」という非常に素朴な疑問から来ている感情ではないかと思います。「なぜ自校の校歌を自校のホームページに載せるのに許諾がいるんだ、使用料が発生するんだ(この点は改善されていますが)」、「いい教材だからと思って他校の先生に配るのがどうしていけないんだ」、「この作家の文章はとてもいいので、教科書に掲載されている作品以外の作品を生徒に読ませたいと思ったのに、コピーして配るのはなぜだめなんですか」・・・正直「著作権法上はそこまでみとめられていないんです」と言う説明だけではなかなか納得できるものではないでしょう。「著作権者の権利を不当に害するから」といったって、そうですねと納得できますか?
 たぶん教師から見た権利者団体が「悪」に見えるのは、このような疑問に対して納得できる回答をしないからではないでしょうか。問い合わせをしても、杓子定規で現実に即してない説明をされ、自分たちの主張ばかりして教育現場の実情を理解していない、問い合わせをしたときにそんな対応をされたという先生が何人かおられました。多くの権利者団体の人は学校は侵害の温床だと信じて疑わないので、余計に構えて対応するのでしょう。権利処理を体験された先生の多くが「もう二度とやりたくない」という感想をもっていることも、おそらくいやな応対をされた経験があるからでしょう。
 私がお会いした先生方は、みな権利処理することは吝かではないし、「許諾を取る」というところから教師が勉強しなくてはならないと思っていらっしゃいました。でも手続きは煩雑だし、権利処理について知る機会もないし、結局いろいろな意味で高くつくので「利用しない」という結論になってしまうと嘆いておられました。
 以前に発表された「35条ガイドライン」についても、現場は期待していたと思います。インタビューの中で、「どこまでがよくてどうしたら違反なのかよくわからない」ので、手引きがほしいと言うことをききました。私たちのインタビューはこのガイドラインが出来る直前から直後にかけてでしたので、このガイドライン自体を先生方がどのように評価しているかは解りません。
ただ、このガイドラインの目的は35条の範囲を明確にすることでしたから、その範囲を超える場合にどうしたらいいかは当然記載していません。でも現場としては「じゃぁこのガイドラインに当てはまらなかったらどうしたらいいの?」と考えるでしょう。「許諾を取ってください」っていったって、その方法も書いてなければ問い合わせ方もよくわからない、権利者団体の一覧の掲載だけされている、そう考えるとちょっと不親切だなと思います。これじゃぁここに定められた以外の利用はするなと、暗に教育の萎縮を促しているのと同じ効果ではないでしょうか。
 教師が権利者団体にふれることは、あまり多くありません。制限規定の範囲内であれば必要ありませんし、人的時間的余裕のない教育現場においては許諾が要るようなことはよっぽどのことでない限りできないでしょう。逆に言えば、教育は最も優遇されているがゆえに、『優遇』が当たり前になり、「許諾を取るような特別な場合」にもかかわらず、現状を理解せずに許諾や手続きを要求する権利者団体は教育をないがしろにしている、教育現場を理解していないと、権利者団体について誤認しているのではないでしょうか。
 むしろ権利者団体は積極的に許諾のとり方や、権利処理の方法など実務的な情報の提供を行うべきではないでしょうか。そうすれば教師が権利者団体に触れる機会もでき、その中で誤解が少しずつ解消されていくのではないでしょうか。
 教育と著作権の問題は複雑で根の深いものです。次回は「権利者団体から見た教育現場」という視点で考えてみたいと思います。

(E)
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2006年05月19日

「読み聞かせ」のガイドラインの矛盾点〜その5・完〜

4.『利用できる』著作権の環境を目指して
  「あまりのことに・・・」本件について4回にわたってコメントいたしましたが、その間いくつかのトラックバックやソーシャルブックマークでのコメントを頂きました。この場をお借りして御礼申し上げます。
 
 さて、以前にあるガイドラインが策定されたときにも思ったのですが、「ガイドライン」を作成する人たちの意識の中に「利用者」は存在しているのでしょうか。今回の『読み聞かせ』のガイドラインには利用者団体も協議に参加している旨が記載されコメントもありましたが、本当に納得してのことなのでしょうか。
 トラックバックいただいたブログでもご指摘がありましたが、このガイドラインがアップされてしばらく(といっても3日程度ですが)して、ガイドライン制作の趣旨書(1ページ目)のほかに、『あいさつ文』様のものが追加されています。素朴な疑問です、「今までどおりご利用できる」ならなぜ「ガイドライン」が必要なんでしょうか?問い合わせ対応であれば、個別具体例の列挙(FAQ)の整備の方がどれほど有効でしょう。結局権利を守るためにとりあえず「侵害」とか「許諾」とか言ってけん制しておけという態度にしか見えず、趣旨書も「あいさつ文」も空々しく聞こえてなりません。

 なぜ、権利者の最初の発言は権利誇示と「侵害されている」ということに終始するのでしょう。読者のいない作家、聞き手のいない作曲家でいたいのでしょうか。(経済的にも精神的にも)生活を脅かされるほど、本当に権利侵害されているのでしょうか。確かに著作権法は権利者の保護を図り、著作(権)者の排他的権利を規定するものです。だからこそ侵害の有無、諾否について著作(権)者の主観による裁量を大幅に認めているのです。
 利用する側とて教育だから、子供が対象だからといって、何もかもが許されるとは誰も思っていないでしょう。著作権法の制限規定においても権利を不当に害さない旨が但し書にうたわれています。
 しかし、今の権利者の主張というのはすべてを飛び越えて、とにかく許諾がないと権利侵害だということばかり主張しているように感じます。まるで「利用させてやるから」と言わんばかりに・・・。どんなに丁寧に記載しても「著作権法を越えてまで制限しません」という言葉はまさにその態度の表れではないでしょうか。
 ガイドラインというものは、それに照合することで、安心して著作物が利用できることを目的とすべきです。利用者と権利者は申請−許諾という関係があろうとも、対等の関係であるはずです。契約というのはそういうものです。権利者・権利者団体の方々はそのあたりにもう少し余裕を持っていただきたいものです。
 また、利用者も権利者の発言が不当であったり、わからないガイドラインが発表されたりしたときは、きちんと声明を出すべきです。もちろん世論の高まりを待つというのもひとつの手でしょう。でも多くの利用者は学校教育現場を含め余裕を持ったカリキュラムで年間活動を決めているわけではありません。時間がかかる、ややこしいことに関わっている暇がないのです。だからこそガイドラインはありがたいと誰もが大変期待して、皆失望感で一杯になって、やがて権利者に対して不当な感情を抱くようになるのでしょう。それでも本当にきちんと利用したいならば、利用者は利用者として意見書を出し、議論すべきだと思います。利用者はもっと自分たちの利用法に誇りを持って、権利者と対等であることを認識することが必要ではないでしょうか。

 ただここで、ひとつ大きな問題があります、権利者には「権利者団体」と言うのがあります。しかし利用者には「利用者団体」というのはないのです。利用者の意見をまとめ権利者に意見するほどに組織され力のある団体というのはとても少ないのです。出来れば小さな利用者の団体が集まって共同声明を発表できる、そんなフウに協力していければ、一方的なガイドラインになることもないし、真の意味で「権利者と利用者が手を携える」ことが出来るでしょう。
 権利者団体に対抗できる「利用者団体」というものが今現在未整備であるなら、今ある利用者の団体はそれぞれの目的と必要性認識して、連帯し、提案をしていかなければ何も状況は変わらないのです。文句ばかり言っても具体的な要求がなければ、ただの愚痴にしかなりません。そして利用者が個人や小さな団体として権利者団体に意見しても、あまり相手にされないと言う悲しい現実もあります。
 そのような現状にあって、私たちは利用者と強者になりがちな権利者との間の架け橋としてお手伝いをしていきたいと思っています。
 ガイドラインが利用者にとっても有益であり、必要なものである以上、きちんとしたものができるように、活動していきたいと思っています。

(E)
posted by 著作権教育フォーラム at 14:34| Comment(0) | TrackBack(2) | コラム

2006年05月18日

「読み聞かせ」のガイドラインの矛盾点〜その4〜

3.解りづらい点、問題点。(その2)
 このガイドラインを「読み聞かせ」をする利用者からみると、実効性の点から次のような問題が考えられます。
1. きちんと使おうと思ったときに、何もわからない、ということ。
 ・問い合わせてふたをあけてみないと、許諾を得られるのかどうかわからない。
 (事業者であれば応諾義務があるので、とにかく利用は出来ることはすぐにわかります。)
 ・返答までにかかる時間。(どのくらい前に申請しないといけないかの予測が立ちません)
 ・許諾額。せっかく許可されても、読み聞かせ1回に付き10万円では難しいでしょう。
  まさかありえないと思いますが、さらに出版社の手数料が許諾料の10%かかるなどと言うことでは、使うなといっているのに等しくなります。(先の例で言えば計11万円になる。)
 ・対価発生の場合の責任者(支払い方法)
2. どんな作家の作品についても出版社が責任を持って問い合わせ、諾否を確認してくれるのか、という保証がないと言うこと。
 ・ A出版社に申請書を出したら「その作家の権利はすでにB社に移っていますので、B社に問い合わせてください」とたらいまわしにされるのであれば、直接作家に問い合わせたほうが早いと言うことになります。
 ・ 事業者に委託している作家については出版社は関係ないですから、出版社から事業者に申請書を転送してもらえるのでしょうか。

 そもそも「出版社」にはどういう権利があるのでしょう?作家の代理人?作家との共同著作(権)者? 著作権法上考えられるのは「頒布を目的とする」出版権だし、作家と出版社の個別の契約に則った話なら、全ての出版社が同じような契約書で同じような権利を作家から譲渡あるいは許諾窓口権を設定されているという前提がないと、結局それぞれ個別に交渉がいりますと言う結果になって意味がないんじゃないでしょうか。
 出版契約の実態という調査を見ても、自社で作成した契約書を使用しているところが多数ありますし、著者との出版契約は5割程度しか締結されていないことがわかります。作家−出版社の間の権利関係が不安定なのに、利用者には厳しいことを要求すると言うのはちょっとどうかと思います。もちろん書面契約がなくても「友好関係」があるから大丈夫と言うことかもしれませんが、じゃぁ利用者も友好関係を作るというところかはじめたいと思うのではないでしょうか。
 真のガイドラインであるならば、「物事を進めるうえでたよりとなるもの。参考となる基本的な方針。手引き。」(大辞林)足るべきなのに、これでは混乱の指針でしかないような気がします。

 問題は「出版社」という企業あるいは出版社の集合体である**出版協会(いくつかありますが特にどの団体を指しているわけではないので、単に出版協会とします)の立ち位置ではないでしょうか。
せめてこのガイドラインに則って利用させたいならば、申請書はすべて出版協会宛にして、出版協会が各権利者宛に送付する、このくらい責任をもってすべきではないでしょうか。
 利用者に手続きを踏ませるなら、出版社(出版協会)側も処理手続きの整備と簡便化について踏み込むべきではないかと思います。

(E)
posted by 著作権教育フォーラム at 12:21| Comment(0) | TrackBack(1) | コラム