2006年10月07日

ネット配信への期待 その3

 前回、音楽関係の権利者が利用者にある種の「大英断」にとって「歩み寄り」をしたという評価を致しました。しかしこれを、全く好意的に解釈するというのは楽天的すぎるかも知れません。うがった見方をすれば、ネット配信による違法コピーの蔓延やCDの売り上げ減少という不安や警戒心は、一頃ほど激しくはなく、むしろ、一定以上の売り上げに貢献していることが明らかになってきた、ということは、ネット配信は非常に大きな市場として確立されつつある以上、諾否よりも報酬請求した方がよいという考えに基づいているとも考えられるのです。そしてこの場合、利用者と権利者の利害は一致するのです。利用者が利用すればするほど、対価が増加するのですから。
 さらに言えば、このような権利処理体制を確立することで、予想される次の法改正を予防する意味もあるのではと思えます。現状の流れにおいては、放送と通信の融合について検討が進んでおり、権利処理の簡便化のために「放送と同様の」規定とするという方向が多数ではないかと思います。その流れの中であえて、一元処理を開始するというのは放送と同様な権利制限になるのを阻止しようという目論見があるようにも思えます。つまり、現状であれば通信は許諾権を持つ実演家が、放送と同様に報酬請求権になってしまう(諾否については意見を言うことができない)ことを、自ら防ごうとしていると考えられるわけです。
 利用者(放送局)としても、少なくとも放送番組のネット配信については先述のとおり両者の利害は一致しているので、詳細はともかく全体的には合意しうるものだったといえましょう。
 さて、では翻って教育現場ではどうか。学校における著作物利用について「一元的処理を行う」あるいは「権利者団体が権利処理の窓口になる」、という構想は著作物利用の際に、権利処理が必要となったときには理想の形です。
まず、教育現場は目に見える対価はほとんど0であることは、当然に予想されます。その点からのみ考えれば、教育現場に対する配慮はありえないという絶望的な結論になります。次に権利者と利用者(教育現場)は共同歩調を取れるか、ということですが、こちらも協力し合うだけのメリットがすぐには見当たらない・・。
 しかし、直近の対価は0であったとしても、児童、生徒が社会に出たときのリターンは計り知れないものがあるでしょう。経済的側面からのみ著作権を捉えるのは好ましいことではないと思いますが、通常の企業理念から言えば、コストパフォーマンスは重要ですので致し方ないことです。しかし、教育とはそれだけではないということにも、社会は気が付く必要がありますし、企業は率先して啓蒙していかなければならないと思います。なぜなら次にその「企業」を支えるのは、今「生徒」である子供たちだからです。この様な視点においては、教育というのは企業にとっての「先行投資」あるいは「R&D」という位置づけをされても良いのではないでしょうか。もっとも、そのような理屈付けなどせずに教育の重要性を認識することが当然であるとは思うのですが…。
 一方教育現場においても、このような動きに対応すべきであり、教育は企業理念とは独立させて存在意義があることをもっとアピールすべきです。著作権法と学校教育は両者ともに文科省の管轄なのですから、文科省内部で連携するべきではとも思いますが、まずは、教育現場として何が必要なのか、ということを教育の重要性から主張していくべきではないでしょうか。
 著作物の利用に当たっての著作権の制限規定が狭められることを防ぐことも、利用者として必要であればきちんと対応していく必要があるでしょう。
 権利処理体制の確立や法改正の流れの中で教育現場も敏感に反応すること、そして気がつけば著作権の制限規定(例えば35条や38条など)が狭められていることのないように、自ら考え、取り組む体制が重要であると思います。
 ネット配信の拡大に期待する一方でこんな事を考えてしまいました。

(E)
posted by 著作権教育フォーラム at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム
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