2006年10月30日

著作権教育の転換点

 先週は本の発行や対談等がありましたので、そのお知らせをいくつかいたしました。ブログや論文、講演等以外で対外的に意見を述べることはこれが初めてでしたので、貴重な経験が出来ました。
 教育と著作権についてのかかわりは、私が初めて「著作権」にかかわりを持ったときから、大きく変わっているように思います。最初は「おおらかな」時代、つまり著作権などということをことさらに言わなかった時代です。もちろん現在の著作権法第35条が規定されるときの議論等を読み返せば、昭和45年当時から「市販問題集の複製利用」という問題はありました。しかしそのようなことが問題としてありつつも、学校に「著作権」などという言葉が使われるような事態ではなかったのではないでしょうか。
 その後、知的財産の有用性とともに、「著作権」ということが注目され、そして、学校教育現場は「侵害の温床」という目で見られるようになります。最初は、著作権教育といっても「勝手に~してならない」という、禁止事項として教えるものばかりでした。世間的には著作権侵害での逮捕者が出たりと「著作権は恐ろしいもの」というイメージが広がっていったようにも思えます。逆に学校では「教育だから」とか「35条があるから」と、ある意味の甘えや法の拡大解釈をし続けていたように思います。
しかし現在では、著作権の意識というのはだいぶ浸透したのではないかと思います。やり方の是非はともかくですが、権利者団体等の啓蒙活動のおかげだろうと思います。さらに、学校教育においても、「怖いから使わないでおこう」から利用するにはどうすればよいかというスタンスの教育方法も増えてきているようです。
 今、教育と著作権について携わっている中で感じるのは、著作権教育の転換点であるということです。著作権・著作物を避けて通るのではなく、積極的に関わっていこうというカリキュラムについてよく目にするようになりました。また、著作物の利用についても○か×かではなく、○に近い△、×に近い▲と、けして割り切れるものではないことを先生方が許容できるようになっていることも大きな力になっているのではないかと思います。先日、学校現場に於いては、違法か適法かはっきり分からない場面にたびたび遭遇し、その度に不安になるが、しかしどちらとも言えない場合や、権利処理をすればOKになる場合があるということが解る(あるいは、教えてもらう、本に記載されている等)だけで現場の不必要な緊張はかなり軽減されるということをききました。先生方の知識が足りないのではなく、条件によって許諾の有無等が変わってくるという情報をようやく提供され始めた、言換えれば正しい著作権の知識が蓄積し始めたということであると思います。
 これまでの著作権教育が、教師への著作権講座を含めて、使用を禁止するということを前提になされていたために、違法利用は激減したとしても、それはけして適正利用が増えたということではないのです。むしろ、「著作権フリー」の利用に走る事になっています。著作権フリーの「著作物」が良くないということではけしてありませんが、著作権が本来規定するもの、文化の発展に寄与することには、利用されるべき著作物が著作権によって限定されるのは良くないと思うのです。特に学校教育に於いては、先人の知恵に触れ、芸術に触れることで多くのことを「学習」するのですから、知識の教授を法律が阻むことのないようにしなければならないと思うのです。
 どうもそうなりがちな、そのための道具として使われている感が強い「著作権」について、もっと根本から考える必要があるのではないか、それは教育における著作物利用を積極的に行うこと、そのためには学校も社会も「著作物利用」ということが何であるかを改めて考えることが大切なのではないでしょうか。そして、企業や社会ももっと学校教育と著作権について広い視野からとらえ、少しずつ増えてきている体験型や利用を推進する著作権教育のカリキュラムの積極的な支援をすることが必要なのではないでしょうか。そして、教育現場からは、もっと声を上げていくことが必要でしょう。
 この様なことを改めて考えた次第です。

 (E)
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2006年10月24日

教育の中の著作権を考える

 先日、横浜国立大学の大和淳先生と「教育の中の著作権を考える」と題して、対談させていただきました。この対談は、日本教育新聞社シリーズ対談の第2回目になります。対談の様子は10月23日付の日本教育新聞に掲載されましたので、是非ご覧下さい。

(E)
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2006年10月19日

書籍のご紹介です

 先日執筆いたしました、
“こんなとき,こうする”校長・教頭のための課題解決ブック・No.4
「こんなとき,こう対応する 学校の個人情報保護・著作権」(教育開発研究所発行)
[編集] 北村文夫 [形態]ムック [定価] 2415円(税込) [判型] A5判 [頁数] 224頁

 が本日(10月19日)刊行されました。

こんなとき,こう対応する 学校の個人情報保護・著作権

私どもは
 「著作権問題にかかわる対応実例」の中の
   ■授業・学習活動■
    2.録画した番組を授業で見せたい・・・
について、条文の紹介を踏まえて解説しています。是非参考にされていただければと思います。

アマゾンで購入する
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2006年10月18日

利用者としての教育現場のあり方

 先日、私も副会長をしておりますひょうごe-スクールコンソーシアムITコンテンツ利用研究部会の著作権イベント実行委員会が主催する体験型著作権学習イベント「実践!著作権」の成果発表の場である、「実践!著作権」フェアのパネルディスカッションにパネリストとして参加しました。
 ディスカッションのタイトルは、「著作物利用のフロンティアを拓く」ということで、教育現場から教員2名、権利者として権利者団体及び映像コンテンツ関連企業からそれぞれ1名、そして私がコメンテータです。
 ディスカッションでは、教員から教育現場における具体的な問題点が挙げられました。それに対して権利者としても、対応はしたいが窓口が交渉の窓口が1本化されていない等の現実的な問題点があげられました。私はこの「実践!著作権」では権利処理のお手伝いもしておりましたが、その際有効であったのは、やはり「権利処理機構」というものを立ち上げ、イベントにおけるすべての権利処理を一元化し、交渉を一手に集中させたところにあると思っています。
 例えば卒業アルバムDVDにBGMをつけるということは、最近では良くあることですし、学校でも自宅でもネットから音楽や映像を容易にダウンロードできる現状では、「勝手に●●すると違法です」という教え方では限界があると思っています。「では適法に使用するにはどうしたらいいか」という点まで教育するときに来ていると思います。
 では実際に卒業アルバムDVD制作でBGMを使う際の権利処理の知識、経験のある先生はどのくらいいるでしょうか。音楽だからJASRACでしょとだけ思っておられる先生はどのくらいいるでしょうか。実際に楽曲をCDから利用した場合の原版についてきちんと処理できているでしょうか。
 NHKの番組は公共放送だからもっと自由に使わせて欲しい、とだけ思っている先生は多いのではないでしょうか。しかし「放送番組」にはテレビ局の権利だけではない、数多くの権利が含まれているということをきちんと理解しているでしょうか。
 もちろん、自ら権利者団体や企業に電話をし、「粘り強い」交渉をして、許諾を得ている先生はたくさんいるでしょう。しかしそれはその先生個人の経験と実績にしか、今のところはなっていません。残念なのは、そういった先生方の体験が共有できないこと、もっといえば、その体験が新しい「学校における著作物利用のルール」に結びつかないことではないでしょうか。
 この点は権利者からも指摘されるところです。常に個々人が個々人の利益のために交渉しており、けっして「学校教育」全体の利益として結びつかないこと、これは非常にもったいないことです。
 「実践!著作権」はわずか参加校5校というイベントですが、それでも小さな「団体」として、各権利者団体との一括交渉が可能でした。今後そのような指導的立場、学校現場を代表する立場として、例えば県教育委員会等が著作物利用のための交渉窓口として活躍すべきなのではないかと思います。少なくとも、このイベントを2年続けて開催したからには何かしらのアクションがあればいいなと期待しています。
 個人の先生方の努力を生かせるように、より良い教育のために、著作物利用を禁止する学習から積極的に利用する学習への転換が必要なのではないかと思います。
 著作権イベントについては、「実践!著作権」ブログの方をご参照ください。
 丁度、10月は本の刊行対談等でお話しする機会がありましたので、今回から数回はまさに「教育と著作権」について述べていきたいと思います。

(E)
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2006年10月07日

ネット配信への期待 その3

 前回、音楽関係の権利者が利用者にある種の「大英断」にとって「歩み寄り」をしたという評価を致しました。しかしこれを、全く好意的に解釈するというのは楽天的すぎるかも知れません。うがった見方をすれば、ネット配信による違法コピーの蔓延やCDの売り上げ減少という不安や警戒心は、一頃ほど激しくはなく、むしろ、一定以上の売り上げに貢献していることが明らかになってきた、ということは、ネット配信は非常に大きな市場として確立されつつある以上、諾否よりも報酬請求した方がよいという考えに基づいているとも考えられるのです。そしてこの場合、利用者と権利者の利害は一致するのです。利用者が利用すればするほど、対価が増加するのですから。
 さらに言えば、このような権利処理体制を確立することで、予想される次の法改正を予防する意味もあるのではと思えます。現状の流れにおいては、放送と通信の融合について検討が進んでおり、権利処理の簡便化のために「放送と同様の」規定とするという方向が多数ではないかと思います。その流れの中であえて、一元処理を開始するというのは放送と同様な権利制限になるのを阻止しようという目論見があるようにも思えます。つまり、現状であれば通信は許諾権を持つ実演家が、放送と同様に報酬請求権になってしまう(諾否については意見を言うことができない)ことを、自ら防ごうとしていると考えられるわけです。
 利用者(放送局)としても、少なくとも放送番組のネット配信については先述のとおり両者の利害は一致しているので、詳細はともかく全体的には合意しうるものだったといえましょう。
 さて、では翻って教育現場ではどうか。学校における著作物利用について「一元的処理を行う」あるいは「権利者団体が権利処理の窓口になる」、という構想は著作物利用の際に、権利処理が必要となったときには理想の形です。
まず、教育現場は目に見える対価はほとんど0であることは、当然に予想されます。その点からのみ考えれば、教育現場に対する配慮はありえないという絶望的な結論になります。次に権利者と利用者(教育現場)は共同歩調を取れるか、ということですが、こちらも協力し合うだけのメリットがすぐには見当たらない・・。
 しかし、直近の対価は0であったとしても、児童、生徒が社会に出たときのリターンは計り知れないものがあるでしょう。経済的側面からのみ著作権を捉えるのは好ましいことではないと思いますが、通常の企業理念から言えば、コストパフォーマンスは重要ですので致し方ないことです。しかし、教育とはそれだけではないということにも、社会は気が付く必要がありますし、企業は率先して啓蒙していかなければならないと思います。なぜなら次にその「企業」を支えるのは、今「生徒」である子供たちだからです。この様な視点においては、教育というのは企業にとっての「先行投資」あるいは「R&D」という位置づけをされても良いのではないでしょうか。もっとも、そのような理屈付けなどせずに教育の重要性を認識することが当然であるとは思うのですが…。
 一方教育現場においても、このような動きに対応すべきであり、教育は企業理念とは独立させて存在意義があることをもっとアピールすべきです。著作権法と学校教育は両者ともに文科省の管轄なのですから、文科省内部で連携するべきではとも思いますが、まずは、教育現場として何が必要なのか、ということを教育の重要性から主張していくべきではないでしょうか。
 著作物の利用に当たっての著作権の制限規定が狭められることを防ぐことも、利用者として必要であればきちんと対応していく必要があるでしょう。
 権利処理体制の確立や法改正の流れの中で教育現場も敏感に反応すること、そして気がつけば著作権の制限規定(例えば35条や38条など)が狭められていることのないように、自ら考え、取り組む体制が重要であると思います。
 ネット配信の拡大に期待する一方でこんな事を考えてしまいました。

(E)
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2006年10月06日

ネット配信への期待 その2

 前回「音楽著作物」と「音楽を利用する」ということについて、簡単に申しました。今回はちょっと特殊な「放送局と音楽」について、ご説明します。
 放送というのは著作権法ではちょっと特殊な扱いを受けます。まず、著作権法に規定される放送というのは、放送は送信形態の一つで、「公衆」にむけて、同一内容を同時受信するという目的をもってなされる送信を指します。そして無線の場合です。ケーブルテレビなどは無線ではなくて、有線ですので「有線放送」となります。「公衆」に「同一内容」を「同時受信」するという送信が「放送」です。この「放送」を生業としているのが「放送事業者」、いわゆる放送局です。
 放送局はニュースのオープニングや、番組BGM等様々、非常に沢山の楽曲を使用します。その場合音源は大体CDということになります。もちろんスタジオで演奏し、録音する場合もありますが、ほとんどは市販CDです。使用の度に著作者、著作隣接権者に交渉し、許諾を得るという作業をしていては大変です。申請書を出すだけでも大変です。
そこで権利者団体が管理する楽曲については、権利者団体(JASRACですが)が昨年度の音楽著作物の使用実績を下に、次の年の音楽著作物利用量を想定し1年分の使用契約(ブランケット契約とわれます)を、放送事業者と締結します。権利者団体の応諾義務のもうちょっと大きいバージョンといえます。
 では実演家が演奏し、レコード製作者が固定した「CD」についてはどうでしょうか。放送以外、例えばDVDを作成する場合は音源使用についてレコード製作者の許諾が必要です。放送はといえば、実演家の許諾を得て録音物に収録されていた番組を放送する場合には、実演家の放送権は働かないとされていますし、市販されているCD(著作権法では商業用レコードといいます)を使用して放送する場合には、許諾ではなくて、使用についての支払義務が課されるだけになります。
 つまり、著作者の権利処理も著作隣接権者の権利処理も、使用料を払うだけでよいということになります(もちろん使用報告は必要です)。
 以上のことから、放送というのは著作権法上かなり優遇された地位にいるということがお分かりになると思います。
 ところが、これが一旦放送から、ネット配信になるとどうなるか。ネット配信は、同一内容を同時受信するだけでなく、異時受信も可能です。つまり、ネット配信は著作権法規定する「放送」ではなくなるわけです。放送でないのですから、先ほどの放送の権利処理特典は通用しません。つまり、普通の利用者と同じように、レコード会社と交渉して…となるわけです。それを放送と同じタイミング、あるいはこれ迄のものも含めて用意する…それは時間的物理的に不可能に近い作業です。なぜなら、今まで「放送」ということで、あらゆるCDを、それこそリリース直後の新曲から、アイドルの曲から使い放題使い、しかも1番組あたりの使用楽曲数も相当数に及ぶ…という番組を、一つ一つ元のCDを特定し、レコード会社と交渉し、実演家と・・・。放送番組のDVD化のとき泣く泣く楽曲の差し替えをするDVD制作担当者の気持ちを追体験することになるのです。
 この点が放送が優遇されているがゆえに、「放送」から離れて瞬間に巨大な壁としてそびえ立つ「著作権の問題」として議論されている点でした。これが今回、放送と同じ待遇をしてもよいという、いわば大英断をしたのです。実際に稼動すれば使用料配分など課題は山積だと予想されます。しかし権利者が利用者(放送局は、ある意味最大の著作物利用者です)の事情に近づいたという点においては評価できるのではないかと思います。
 同様な利用者への歩み寄りというものを、教育現場にも応用できないものでしょうか。教育というのも著作権法上かなり特殊というか、質は違えど優遇されています。著作権法の例外規定に該当するという点において、似たような環境にあるのかもしれません。
 もしもこのような一元処理の仕組みが学校教育にも応用されたら、もっと学校での著作物利用が増えるのではないかとも期待します。
 次回はこの「歩み寄り」から学校教育現場での著作物利用について、教育現場はどのように考えるべきかと述べたいと思います。

(E)

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